【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【仕事】評価主義・成果主義 #16-02
2015年05月26日 (火) | 編集 |
前回の続きです。

以前も書いたかもしれませんが、各部門の成績を加味するとしても、基本的に目に見えることを評価の対象としています。
ということは……「部署と部署の間」や「人と人の間」を繋ぐような目に見えないことは、評価の対象とならないような構造になっています。
しかし組織で大切なことは、ここでしょう。
人体で考えると関節が上手く動作しないとどうなるのか???ということです。
関節が上手く動作しないと、全体として動きはギクシャクしますし、それによって人体のどこかに余計な負荷が加わります。
その負荷が継続的に加わると痛みや痺れに繋がります。
いくら指先が器用でも、肘関節が上手く動作しないとキーボードを打つのも苦労します。
肘関節は、キーボードを打つために楽な状態になるよう手の位置をコントロールしますから……。
そしきに戻せば、いくら現場が頑張っても他部署との繋がりが適切でなければ、充分な機能を発揮できないということになります。
したがって、ここが上手く働いているかどうか???で効率は変わります。

制度設計時に、この辺りを上手く構築していないために部署間での連携が取れず、全体としてギクシャクしてしまった……という話は珍しくありません。

しかしながら部署間の競争や個人間の競争が不要とは言いません。
その意味で、評価制度や成果主義があっても良いとは思います。
ただ……制度設計があまりに稚拙なことが多いと思います。
それは導入する管理者側に、こういう知識がなかったからでしょう。
しかし「知らなかった」とは言えないのが、現代です。

 (続く)
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【仕事】評価主義・成果主義 #16-01
2014年10月31日 (金) | 編集 |
評価/成果主義を導入した組織で、弊害が大きいために止めてしまったという話を聞くことがあります。
日本で導入されている評価/成果主義は、あくまでも「個人がどれだけ何かをしたのか?」を対象としていることが多く、そもそも弊害が出るというのは導入時から分かっていたのだろうと思います。
分かっていないのであれば……。
ただ……ある意味で評価/成果主義の導入は、流行だったため、導入しないと言いにくい状況にはあったのだろうと……。

これを上手く運用しようと思えば、まずは部署が受け持つ作業の質や量を比較し、その評価が前提となります。
しかし……それが為されていないのが、ほとんどしょう。
あくまでも目の前の分かりやすいことが評価の対象となっていることが多いのではないか?(少なくとも私の周りではそうです)と思います。

上に書いたように、日本のシステムは、『「個人がどれだけ何かをしたのか?」を対象』としていますから、他部署のことは問題外となります。
問題の一つの例ですが、営業部門がよくやってしまうのですが、製造現場のことを考えない注文を受けてしまうことがあります。
システム構築でも同じですが……。
これによって営業部門は、受注量が増えますから当然ですが営業成績は上がります。
一方で製造現場は、ドタバタになります。
製造ラインを夜中まで動かす、それに伴って時間外勤務が増える……等々……。
これらは間違いなくデメリットですから、本来は無理な注文を受けてしまった営業部門がマイナス評価されなければなりません。
しかし見かけ上は、営業成績は上がっていますし、コストアップになっているのは製造部門です。
ここの調整ができる仕組みが作られていないというのは、珍しいことではありません。

 (続く)

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【仕事】評価主義・成果主義 #15
2013年07月13日 (土) | 編集 |
別項で、『体罰やいじめは、同じ構造的により発生します。セクハラもパワハラも同じです。』と書きました。

現状、日本で導入されている評価・成果の計り方の多くは、この構造の上に成り立っています。
分かりやすい言い方をすれば、多くの団体で用いられている評価・成果の計り方は、何を数値化しているか?と言えば、「評価者が被評価者をどれだけ好きか(もしくは嫌いか)?」です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
なぜなら……そのバイアスを取り除くための手段が講じられていないからです。

それ故、欧米では、評価者と被評価者に一方的な力関係を作らない方向にシフトしています。
そうでなければ、「評価者が被評価者をどれだけ好きか(もしくは嫌いか)?」ではないと言えないからです。
そんなことをしなくても……という方は、最初に書いた『体罰やいじめは、同じ構造的により発生します。セクハラもパワハラも同じ』ということが構造的に理解できていません。

例えば「Xという量の作業を、Y人で、Z時間内に行いなさい」という指示が出たとします。
それが達成できなければ、普通に考えれば評価は下がります。
しかし……そこには「Xという量の作業を、Y人で、Z時間内に行いなさい」という指示が適切であったのかどうか?は勘案されません。
これが日本における評価・成果の最大の問題点です。
指示を出す者と評価する者が同一であれば、このような問題を抱えたままになります。
これでは組織が良くなるはずはありません。
少し立ち止まって考えた方が良いと思います。

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【仕事】評価主義・成果主義 #14
2011年12月12日 (月) | 編集 |
色々な人と話をすると……最近、病気による休職者が多いという話を耳にします。
この病休者をどう考えるのか???

同一部署で病休者が複数人出た場合、その病休者の評価をどう考えれば良いのでしょうか?
よく間違うのが、このケースです。

話を人体で考えれば分かりやすいのですが……。
例えば足の複数の指に痺れがある場合ですが、この場合に最初に考えなければならないのは指先のエラーではなく、その神経が一つにまとまっている部位のエラーです。
具体的な例を挙げれば、指先の痺れの原因は腰椎椎間板ヘルニアであるという例が分かりやすいと思います。
この場合、具体的なエラーが出ている指先を治療しても意味はありません。
エラーを解消しようと思えば、エラーの元となっている腰椎に治療を加えなければなりません。
このような例は、人体に限らず発生します。
別の例では、システムです。
広範囲に幾つかのパターンでエラーが発生する場合、直近(末端)の計算プログラムではなく、それより上位の計算プログラムに障害があることが多々あります。
この場合、直近(末端)の計算プログラムに手を入れて何とかしようとすれば、大作業になります(後始末まで考えると……ゾッとします)。
やはり障害がある上位プログラムを修正するのが、マクロでは小さな負担ですみます。

このような考え方を評価主義では考えておく必要があります。
上記のような『同一部署で病休者が複数人出た場合』ですが、これは「指先の痺れ」でしかないということです。
したがって「指先の痺れ」に対してアレコレ考えてもメリットはありません(マイナス方向に働くだけですから、正確にはデメリットしかありません)。
この場合、キチンと対応しなければならないのは「指先の痺れ」である病休者ではなく、「腰椎椎間板ヘルニア」である病休者の上位にいる者でしょう。

ここを間違うとどうなるか……。
人体に対することを考えれば分かるのですが、異常がない部位に治療を行う……つまり医療ミスを発生させているということに他なりません。
要するに「系」で考えるという視点を欠いてはならないということです。
この辺りをキチンと理解しておく必要があるでしょう。
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【仕事】評価主義・成果主義 #13
2011年11月21日 (月) | 編集 |
評価・成果主義(以下「評価主義」)において、評価者が気を付けなければならないことは、当然ですが自らが判定した結果が正しいかどうか?確認することです。
どうすれば確認できるのか?
何度も見直す……これは大切でしょうが、同一人物が同じ視点で考えるわけですから、間違いが見つかる可能性は小さいと考えるのが妥当です。

では、どうすれば良いか?
そもそも評価は『一定の基準で判断し数値化すること』だと分かれば、答えは出るでしょう。
何かを数値化するということは、何かを数字で表現することに他なりません。
であれば、数値化された評価を日本語に戻して考えれば良いわけです。

記号化すると分かりやすくなる代わりに、本質が隠れてしまうことが多々あります。
中には本質を隠すために数字という記号を用いているケースもありますが……。
それは置いておくとして……記号化することで間違いを見つけることができない、もしくは見つけにくいのであれば、それを日本語に変換してみれば良い……それだけの話です。
そして変換された日本語が、評価の対象となっている者の像と一致するのかどうか?
それを確認すれば良いということです。

しかしながら、そもそも評価する対象をどう判断するのか?を考える際には、まず言語で判断します。
その言語を数値化するのですから、同じになるのではないか?と思われるかもしれません。
しかし……普通は同じになりません。
これは翻訳ソフトを考えれば分かりやすいのですが、日本語から英語に訳し、それを英語から日本語に訳すと違ったものになってしまいます。
これが言語という記号の持つ「ある意味での」特徴です。

また評価した数値を日本語に訳した時に大切なのは、それを引っ付けて文章化してみると言うことです。
評価主義は、要素ごとに判定していくのですが、『部分の総和は全体にならない』と言われるように要素ごとの評価の積み重ねは全体を表現していないことが多々あります。
したがって文章化してみると、対象者を正しく表現できていないと感じる……つまり違和感を感じることは少なくありません。
評価制度により高評価を得た者が、実際に属する部署内での評価も高いかどうかは別の話です。
それどころか部署内で評価が高い者を数値化すると低評価になってしまったり、その逆だったり……ということは珍しいことではありません。

これらを頭において評価することが大切ですし、このようなチェックをすることで間違うRISKを軽減することができます。

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【仕事】評価主義・成果主義 #12
2011年06月17日 (金) | 編集 |
先日、前に同じ部署だった人に会って、少し話をしました。
その人は、少し年長で、既にかなり昇進しています。
そこでの会話は、我が部署こと……。
我が部署の直属の上司は、「使えない」ことで有名らしく、会う人会う人に「仕事は回っているか?」と聞かれるような存在です。
で……案の定、そういうことを聞かれ、どうにかならないものか?と相談しました。
そこでの回答は「頑張って、何とか仕事を回さないと」というもの。。。
あの~今の制度が入る前ならそうでしょうけど、今の制度(フレーム)の下では、それは通用しないのですが……。

以前、評価制度は『仕事をスポーツ化すること』だと書きました。
これは、各々の置かれた環境の中で各々が与えられたことをする、そして評価はその範囲内で行われるものです。
簡単に言えば、野球選手は野球の能力を評価されるのであって、テニスをさせるとサーブがやたらと上手いとか、サッカーをさせるとドライブシュートができるとか……そんなことは関係ないことです。
そういう能力を持っていても、そういう能力を評価者に見せても……評価の対象にはなりません。
部長は部長としての能力を、課長は課長としての能力を、係長は係長としての能力を、平は平としての能力を……問われるもので、仮に係長が課長の能力を持っていても直接的な評価の対象にはなりません。
そういう能力を持った人は、そういう立場に引き上げて能力を発揮してもらう……それまでは評価の対象にできない、これが制度の根本的なフレームです。

その一方で、『働き方を選べる制度』だとも書きました。
簡単に言えば、偉くなりたい人はそういう評価を受けるような働き方をすれば良いですし、現状維持で良いと思えばそれなりの働き方をすれば良い……そのいずれをも認めなければならないということです。

そして、この制度の骨子は『良い評価を受ければそれなりの待遇をしなければならない』ということです。

こういう根本的なフレームを理解していないのでは、制度運用に歪みが出ます。

さて私の現状は……というと……。
私が上司の代わりをして部署内の仕事をまわしても、直接的な評価の対象にはなりません(逆に上司が部下の仕事を代わりにすることは、評価の対象になります)。
「それをしろ!」と言うことは、この制度の中では俗に『労働力の搾取』と言われる行為であり、制度運用側が口にしてはいけないことですし、上司が部下に対して言うことができないことです。
また、今年は昨年以来崩している体調を戻したいので、現状維持程度の働き方をしようと思っていますから、それ以上を求められても困ります。
今でもかなり体調が悪いので、これ以上になると多分……病休を取るしかなくなります。
それは望むところではありません。
だから現時点で頑張れ!と言われても……。

「それでは職場全体がまわらない」と言われたいりします。
しかし、それは制度導入時からわかっていたことですから、管理者側の責任で対応しなければなりません。
評価制度を導入するRISKを考えなかった結果、職場全体の動きが悪くなっているのが現状です。
要するに……制度導入者側は頑張ってステータスを得ようとする世代なのですが、現場でバタバタしているのはプライベートを重要視したり、それなりの収入が得られれば良いと思ったりする世代です。
そこに意識の差が出て、職場の機能がマクロでは低下しますし、機能を維持しようとすれば一部の負担が大きくなります。
そして身体を壊す人が増え、余計に機能が低下する……その悪循環にはまり込みます。
こんなことはアチコチで言われており、既にいくつも例があるのですが、これに対する有効な対策は各々の環境によって変わるのでコレ!というものはありません。
フレームそのものを変更する……考え方を根本的に修正する……そこから始めなければなりません。

これに気が付いた企業は、導入した制度を止める方向にシフトし始めましたが……我が職場はいつ気付くのでしょうか?
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【仕事】評価主義・成果主義 #11
2011年05月15日 (日) | 編集 |
『評価主義・成果主義』について色々と書いてきました【注①】が、これを制度化して組織を上手く運営しようと思った時にネックになるのが「評価する側(以下「評価者」)の能力」です。
バッサリ言ってしまえば、「組織を運営するための能力」と「評価者としての能力」は別物だと言うことです。
ここが理解できていない人が、あまりにも多い。。。
「組織を運営するための能力」には、「評価者としての能力」を含んでいるという声も聞きます。
しかし……そもそも「名選手、名監督にあらず」という言葉があることからもわかりますが、両方の能力を持っている人は多くはいません。
社会制度は人間が使っていくものですから、人間をベースに考えなければならないのですが、機械と同じ感覚で制度設計してしまうという愚をおかす……そこに問題の根はあります。

さて「山は上から見なければ、全貌はわからない」と言われます。
要するに……下から見ていても頂上は隠れてしまいますから、見えていない……ということです。
評価とか成果とか……そういう制度を考える時、この言葉はそのまま適用されます。
何であれ、"評価される者(以下「被評価者」)"よりも"評価者"の能力が高くなければ、"被評価者"の能力を把握できませんし、そうなるとキチンとした評価もできません。
となると……"評価者"の能力が"被評価者"よりも低い場合には、その評価そのものに問題が出ます。
この場合、上記の言葉の続きで対応するのがベターです。
続きは「……わからなければ、遠くから眺めれば、だいたいは見ることができる」というものです。
要するに「離れたところにいる者に評価させる」という手法です。
しかし、ここで考えなければならないのが、「たいたいは」という部分です。
遠くから眺めてわかるのは、あくまでも概要です。
山の全体像を理解することができるという意味ではベターの方法なのですが、それ以上のことはわかりません。
これを頭に置いておく必要があります。

問題になるのは、"本来の評価者"と次善の策として評価させた"離れたところにいる者に評価者"で、対象となる"被評価者"に対する評価に差が出た場合です。
ここのルールを整理しておく必要がありますが、これが難しい。
「ケース・バイ・ケース」という声も聞きますが、それだと「好き/嫌い」と大差はなくなります

結局、人間を機械と同じように扱おうとした結果の歪みはなくなりません。
キッチリ運用したければ、ルール作りの段階で「仕事をスポーツ化する行為」であることを認識して、制度設計することが必要【注②】となります。


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【注①】
 ※参考:【仕事】評価主義・成果主義
【注②】
 ※参考:【仕事】評価主義・成果主義 #02-02 以下を参照のこと。
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【仕事】評価主義・成果主義 #10
2011年01月17日 (月) | 編集 |
評価主義・成果主義については、一通り書きました。【注①】
その後の知人との話をQ/A形式で書きます(実際には、こんな形式で話すことはありません……)。

【Q】評価とか成果主義的なモノは、ない方が良いのか?
【A】あっても良いが、考え方を整理できていないことが問題。
・そもそも『高評価されれば、高所得を保証しなければならない』のが基本であり、一方に『労働者の権利の保証』が存在することを頭に入れておかなければならない。
・『労働者の権利の保証』がある以上、一定の支払は必ず発生し、その上に『高評価されれば、高所得を保証しなければならない』が上乗せされるため、景気が良い時にしか導入できない制度であることを知っておく必要がある。
・また、この制度は『労働者の選択権を拡げる』制度でもあり、今以上の収入を望む者が多い組織(企業を含む。以下同じ。)であればベネフィットが出てくるが、今の状態で充分だと思う者が多い組織では「そこまで頑張らなくても良い」という者が増えてしまうため、人員を増やして対応するしかなく、リスクの方が大きい。

【Q】評価とか成果主義的なモノがない状態であれば、誰も頑張らないのでは?
【A】これまで「ない状態」だったにも関わらず、「誰も頑張らない」という状況になっていない。
・このような制度を導入しなくても何らかの評価はされていたはずであり、それゆえ「管理職になれる人」と「管理職になれない人」がいた。
この制度を導入すると「そこまで頑張らなくても良い」ということを認めなければならず(と言うか導入した時点で自動的に認めることになる)、この部分は評価や成果が叫ばれる前は表面化していないことだった。これが表面化しても屋台骨が揺るがないのであれば良いが、そうでなければリスクの方が大きい。

【Q】評価とか成果主義的なモノがない状態の時にも差はあったが、その差の内容がハッキリするという意味では良いのでは?
【A】評価する側のバイアスを取り除ければ……そうだが、実際にはバイアスを取り除く手法まで導入できていない。
・評価とか成果主義的なモノがない状態では、評価(人事)の基準が「好き/嫌い」になりがちであることは確かだが、現状でコンサルタントが勧める方法の多くは、外国で既に「これではダメ!」と言われてしまったものがほとんどであることを頭に置いておく必要がある。
・要するに何らかの指標によって評価しているように見えるが、実際には評価する側の「好き/嫌い」がバイアスとして入ってしまうため、これを「できるだけ」除去する方法を含めて制度化する必要があるが、これは評価する側の権限を縛ることになるので日本という環境では困難ではないか?(外国では仕事についてはドライに考えるが、縁故などを大切にすれば無理)
・今、日本の多くの組織で導入しようとしている制度は、評価の基準を「好き/嫌い」と言いにくいために数値化して誤魔化そうとしているだけであって、内容的には「好き/嫌い」とあまり変わらない。

【Q】評価とか成果主義的なモノの導入時に一番大切なことは?
【A】人事や評価に関わる者の覚悟とバイアスの除去。
・Risk Management的なことを知っていれば当然のことだが……、組織内で発生した障害等の原因が「人の性質によるもの(要するに他の人が担当していれば発生しなかったと思われるもの)」であれば、そもそも人事のミスでしかない。ということは……責任を負うのは人事に関わった者でしかないという覚悟を組織の上層部が持てなければならない。
・バイアスの除去については、まず「評価する者に"評価する能力があるか?"を判定する」ところから始めなければならない。また評価しようとすれば、「各々の仕事がどういうもので、どれぐらいの負担になるのか?」を把握する必要があり、これなしでは過剰なプラス/マイナス評価を避けられない。

【Q】ここ数年、多くの組織で導入したものの、やめてしまった主因は?
【A】マクロで経費がかかること。
・ここ数年の不景気で人件費の削減を目的として導入した組織が多いが、この仕組みは「人が余分に動かなければならないもの」であり、この仕組みを支えるために余分な支出を伴うため、マクロではコストの削減に繋がらないことがわかったのが主因。
・また、この制度の最大の問題は『自分だけにしかできないことを作っておけば、評価は下がらない』ため、後輩を育てない方がベターであり、そうなると「この作業については、あの人に聞かなければわからない」という状況が発生する。これは現時点でも将来的にもデメリットであり、マクロで抱えるリスクは大きくなることを経営者側が理解したため。
・この制度の導入を勧めている世代は、「社会的なステータスを得たい」とか「高額な所得を得たい」という思想が根底にあるが、現状で一番働き盛りの世代から下の世代については「プライベートを大切にしたい」とか「それなりの生活できる程度の所得があれば良い」とかと考えているため、ギャップが大きい。このギャップが理解できれば、現時点では止めるしかないのでは?
・実際に降格希望者が続出している組織も多々あるため、運用面での問題が大きい。

【Q】ある時期、評価とか成果主義的なモノを多くの組織が導入しようとしたが、メリットがあるからではないか?
【A】一番メリットがあるのは、導入した組織ではなく、その周辺にいる人たち。
・この制度を導入しようとすると「よく知っているだろう」という理由でコンサルタントに依頼することになり、コンサルタント側は一度始めてしまえば長期間の収入を確保できるので、プラス面だけを伝えてマイナス面を伝えない。したがって制度を導入した組織は、始めてみてデメリットやリスクに気付くが、導入にお金をかけてしまったために簡単には止めることができなくなってしまう。それでも止めるのは、将来を含めてキチンと経営を考えている人が上層部にいるからで、ほとんどは「止めたいが止めることができない」状況を続けている。
・また評価をキチンと管理しようとすると、それ用のシステムが必要とされるので、そういうシステムを販売している者にもメリットは大きい(これも継続的な収入が保証されるため)。
・そういう人たちが「評価や成果主義的な仕組みを導入すると良いですよ」とか「今時、評価や成果主義的な仕組みが導入されていないなんて問題ではないですか?」とかと営業してくるが、それに対してキチンとした知識を持っていないために導入が進んだにすぎない。


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【注①】
 ※参考:【仕事】評価主義・成果主義
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