【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【組織】compliance #06
2016年12月17日 (土) | 編集 |

(注意)
 別に法令を守らなくても良いと言いたいわけではありませんので……、あしからず……。


前回の続きです。

そもそも談合の是非をキチンと考えたことがあるでしょうか?

日本における談合は、業界内の達成できそうな者の中で誰がいくらで請け負うかを決めるシステムでしたし、それによって業界内で仕事を分け合う(冨の分配)システムでした。
そして、そこには発注者側との信頼関係が前提となっていました。
したがって達成できそうにもない者が「うちが!」と言っても、他者が「No!」を言っていました(そうでない例もあったでしょうが……)。
これは発注者側と業界団体との信頼関係が壊れることがRISKとして存在するからで、これがアル意味で安全装置としての役割を持っていました。
逆に言えば、談合によって決められた請け負い者は、業界内で「ここなら出来そうだろう」という前提(保険)があったということになります。

それがなくなると何が起きるでしょうか?
発注者側は一つ一つの行為に対して、全てをチェックし、安心・安全を担保する作業をしなければなりませんから色々な意味で手が掛かります。
つまりコストが増大するということです。
しかしコストは増やしたくないというのが経営側の考えですし、日本の雇用はそこまでチェックが必要という前提では考えられていませんから、手が足りなくなります。
それが残業に繋がり、支払いが大変になるとサービス残業という形態が常態化します。

もちろん値段を吊り上げるための行為を肯定することは出来ないのかもしれませんが、それを是認することで社会の中を動く財の量も増えます。
一時期、マスコミが談合を叩いていましたが、そういうところまで考えていたのかどうか……。
それを叩いた結果が現状ですから、それで社会が良くなったかどうか?を考えると、マスコミの思い込みによる暴走だった可能性があります。

(続く)

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【組織】compliance #05
2016年08月16日 (火) | 編集 |

(注意)
 別に法令を守らなくても良いと言いたいわけではありませんので……、あしからず……。



前回の続きです。

さてさて……#02で書いたような「手段の目的化」は、なぜ起こるのでしょう?

問題なのは、コンプライアンスというカタカナ(もしくは法令遵守という日本語)を錦の旗にしてしまうマスコミだろうと思っています。
マスコミ(報道機関)が前述したようなこと(compliance)を前提にコンプライアンスについて報道しているか?と言えば、そうは思えません。
確かに報道には決められた条件(テレビやラジオであれば時間、新聞や雑誌であれば文字数)があり、物事を単純化しなければならない面はあります。
でも単純化する弊害を考えた上で報道しているのか?と思います。

思い出されるのは、談合とかカルテルとか……そういう事案です。
話し合いで誰が請け負うかを決める、落札額も話し合いで決めるというのは普通に考えると違和感があります。
確かにcomplianceを考えれば、きちんと競争すべきでしょう。
でも……そこには「社会が、より良く動いていくため」という前提がなければなりません。
では談合によってマクロで誰が損をしたのでしょうか?
談合があることで、過当な競争を避けられますから請け負う側の業界にはメリットが発生します。
それは業界の余力となりますし、その余力があるからアル程度の金額での中小企業への下請けが可能になります。
それが各々の家庭に入るお金になっていきます。

ここから談合という行為がなくなるとどうなるのか?
想像すると分かることだと思うのですが……。

(続く)
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【組織】compliance #04
2016年01月22日 (金) | 編集 |

(注意)
 別に法令を守らなくても良いと言いたいわけではありませんので……、あしからず……。



前回の続きです。

例えば「comply with another's wish.」というcomplyの使用例があります。
そのまま訳すると「他の人々の願いに応える」という意味ですが、それには『その者が属する集団の利益を損ねない範囲において』という前提があります。
ここを間違えると……。

さて、complianceは、それ自体が単独で存在するモノではありません。
別項で書いているRisk Managementの一部です。
あまりにもココが意識されていません。
そもそもRisk Managementについてもキチンと学ぼうとしているようには思えない状況を見聞きしますが……。

話を戻します。
近年、「コンプライアンスからリスクマネジメントの時代へ」とも言われているようですが、誰が言い出したのか……と思います。
このような言葉が出てくることがcomplianceを意識していなかった証拠だろうと思います。

そうなると……もっと真面目にcomplianceを考えなければならないのでは?と思います。
日本が国際化の中にあることを考えると、カタカナの「コンプライアンス」で良いのか?は大きな疑問です。
そこに縛られれば、国際競争には勝てませんし、それは経済的な発展を妨げる要因になる可能性があります。【注】

(続く)



【注】
 近代以降の日本という国は、揺れ幅が極端な国です。
 右でなければ左、そんな考え方が横行しています。
 例えば「食の安全を唱えるあまりにゼロリスクを提唱すること」や「脱原発を掲げて、いきなり原発ゼロに向かおうとする動き」等がそうです。
 このような話は分かりやすく、聞いていると耳に心地よいだろうと思いますが、「木を見て森を見ず」になりやすい面があります。
 本来、幅があるものまで極端な方に持っていくのですから……。
 しかしながら日本企業のそのような……ある意味で真面目な態度は、海外の企業では考えにくいものであり、その体質が信用に繋がっている面もあります。
 その意味では、カタカナの「コンプライアンス」を一概に否定することもできないとは思いますが、これから国際競争で勝とうと思えば、それだけでは無理でしょう。
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【組織】新国立競技場整備計画の白紙撤回について #02
2015年11月07日 (土) | 編集 |
前回の続きです。

このブログで何度も書いていますが、頭の仕事は手足が無理なく(無理をしても多少で済むように)全体をManagementすることです。
そのためには「何をするのか?」「どれだけの作業量があるのか?」「どうすれば少ない負担でできるのか?」を考えなければなりません。
また何か起きる前に先を考えて、体勢を維持していくのも頭の仕事ですし、何かあれば、その対応を考えるのも頭の仕事です。
ところが今回の件に限らず、これらのイメージができない人が頭になってしまっていることが多いように思います。
言い換えれば「口だけ番長」もしくは「言うだけ番長」が多いということであり、その裏側には自分がするわけではないから」という無責任な考えがあるのだと思います。
そのような無責任な発想を土台にしていますから、結局は何でも現場の責任にして逃避し、何かあっても口だけでキチンと責任を取るようなことはありません。
まあ……指揮官に必要なことが「進め!」ではなく「続け!」であると分かっていれば、こんな組織にはならないのでしょうが……。

また、このような状態になってしまう原因の一つにローカリスト【注①】を持ち上げすぎているという面があります。
だからこそ全体が見えないという不幸が発生するのだろうと思います。
また専門家というのは、その専門分野の中だけで活動するのではなく、その専門分野の知識に色々な問題を照らすことで、その視点から様々な問題について思考し、発言できる人を指します。
そう考えると今回の件で権限を持っていた人に、スペシャリストや専門家がいたのか?という疑問が浮かびますし、そのような集団を作ったことの責任を誰が負うのか?とも思います。

そもそも……この件に限らず各組織では、何かあった時にどう責任を負うのか?を先に決めて、委託/受託するべきでしょう。
それがあれば、「口だけ番長」や「言うだけ番長」は頭にはなりませんから。

 



【注①】
※ローカリストは「ある部分の知識に精通した人」のことです。
※日本では、ローカリストをスペシャリストと混同されることが少なくありませんが、ここの差はとても大きいです。
※スペシャリストは、その前提がジェネラリストであり、その上である部分の知識や技術に精通した人を指します。
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【組織】Twitterにて
2015年11月03日 (火) | 編集 |
Twitter文字制限
書きたいことが書ききれない……。
ということで、ここで書ききれなかった部分を書いておこうと思います。

※少し前のツィートです。

▼長時間、ワンコとニャンコを膝に抱いて座っていると足が痺れてしまう。ちょっとコーヒーを……と思っても、立てない。足の情報が脳に伝わっていないと感じ、それが重要と思うのは、こんな時。こういう現象は人体だけではないのだろうと……よく思う。


リビングでユックリしていると膝をマーフィーやコウメやセンに占領されます。
寒い時期なので暖かいという意味では良いのですが、長時間になると足が痺れてきます。
そうなると……喉を潤そうと思ってもトイレに行こうと思っても……一苦労です。
キチンと立てないのですから……。
脳はキチンと働いているはずなのですが、問題は足からの情報が脳に伝わっていないことです。
そうなると脳は懸命に姿勢を整えようとするのですが、脳からの情報も足には伝わりません。
要するに脳の中で考えたことは、直接的には役に立たない状態になってしまっているということです。
やはり大切なのは、足からの情報を脳に伝え、脳で状態を分析・判断して、姿勢を制御するための情報を足に伝えるということでしょう。
整体にしろ武道にしろ……身体を使うこと、身体に関することをしていると、何かを考える時のベースが身体になるのかもしれません。
足の痺れによってキチンと立てないということの延長で考えると……色々なことを思ったりします。
組織がキチンと動いていないのも……同じようなことに起因していることがあるのではないでしょうか?
末端からの情報を管理職が受け取っていなければ……もしくは末端からの情報を無視して管理職が指令を出したとしても、足の痺れを考えると全体としてはキチンとは動きません。
そんな切り口で考えてみると色々と見えてくるのかもしれません。

 
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【組織】compliance #03
2015年10月20日 (火) | 編集 |

(注意)
 別に法令を守らなくても良いと言いたいわけではありませんので……、あしからず……。



前回の続きです。

さて……Risk Managementの項でもしましたが、この項でも言葉について考えてみたいと思います。

complianceは、complyという動詞から派生した言葉です。
complyは「守る、応える」という意味を持っており、「何かを守るために行うこと」という概念を内包しています。
これが前提となっています。

complianceを法令遵守と訳した結果、これが忘れられている傾向にあります。
よくあるのは法令遵守を進めた結果、組織の動きが悪くなる……という本末転倒な状態です。
まあ……もともとはラテン語のcomplereが語源であり、これは「 満たす、充足する」という意味ですから、その方向にシフトしないのであれば、それはcomplianceとは言えません。

語源を辿ることの意味を軽く考える人がいますが、どこかで書いたと思うのですが……、言葉は文化です。
complianceという言葉は、その言葉を母国語とする人々が感じることができる文化を纏っています。
また、そのような背景を前提としなければ、complianceは理解できません。
その意味では、日本語で法令遵守と位置付けているカタカナの「コンプライアンス」と「compliance」は同一ではありません
言い方を変えれば、日本語で法令遵守と位置付けているカタカナの「コンプライアンス」は、日本でしか通用しません。

(続く)
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【組織】新国立競技場整備計画の白紙撤回について #01
2015年09月28日 (月) | 編集 |
新国立の整備計画の白紙撤回について、検証委員会が報告書をまとめたようです。
あまり真新しい視点がないのが残念なところですが……。
逆に言えば、既存の問題への対応を考えないまま、大プロジェクトを進める組織を作ってしまうという無能さをどうにも出来なかったということが浮き彫りになり、そのよぅな組織が指揮を執っているということが早い時期に分かって良かったのかもしれません。
東京オリンピックの問題については、新国立の整備計画だけでなくエンブレム問題も同じような感じだろうと思います。

このような場合、組織というものを考えてみると一番悪いのは、最終的に決定した者です。
どう言い訳をしても最終的に決定した者が責任を負わなければなりません。
また、このような決定は段階を踏みながら決定に近づいていきますから、その各段階の決定者についても同様に責任があります。
それが決定という権限を与えられた者が抱える責任です。
しかし……。

結局のところどういうことだったのか?と考えると
 ・頭(指揮官)になりたい(威張りたい・目立ちたい)人がたくさんいること
 ・頭になれる能力がある人がいないこと
 ・責任を取るという前提で仕事を引き受けていないこと
という三つのマイナス要素が大きく作用してしまったということだろうと思います。
これらの話については、以前も触れたりしています【注①】が、あまりにも無責任すぎる……というのが今回の件で感じたことです。
まあ……所謂「頭でっかち」が多すぎるということなのですが……。

 (続く)

 



【注①】
※この手の話は、アチコチで書いていたりしますが、カテゴリとしてはこの辺りに書いていることが多いです。
 ※カテゴリ:組織
 ※カテゴリ:Risk Management

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【組織】主従関係 #12
2015年07月03日 (金) | 編集 |
前回の続きです。

これはキチンと考えることなく導入された評価/成果制度(これについても別項で書いています)の弊害の一つなのかもしれません。
主従関係の「主」は「主」で評価されますから、責任を負いたくない……そして何かしなければ評価されない……そうなると本来の主従関係は成立しにくいのかもしれません。
しかしながら『人間が作りだしたモノ(制度を含む)は、「人間の身体」もしくは「その延長上にあるもの」をベースにしてしか作り出せていない』という前提で考えれば、現状の問題のいくつかは、主従関係をキチンと考えれば解決できると思います。
もちろん他にも打たなければならない手は幾つかあるでしょうし、そもそも思想の問題だろうと……。

主従関係の「主」は、色々な責任(義務)が生じます。
昇進する際にそれを自覚しているのかどうか???
権限と責任は、裏表です。
それは国において権利と義務が、本来は裏表であることと同じであり、権利を守るためには義務を果たして社会を維持しなければなりません。
思想の問題というのは、このレベルの話です。
現在では権利と義務を別に考えている者がいますが、現状の日本人の権利が守られるのは、日本という国があるからで、日本という国がなくなれば権利の形(種類、形態)は変わってしまいます。
それが組織においては、権限と責任です。
指示を出す権限を持っているということは、出した指示によって起きたマイナスの事象に対する責任を負うということです。
近年、多くの組織で導入されている評価/成果制度で、それがどれだけ考えられているでしょうか?

これらを考えると幼少から権限と責任、権利と義務の問題をキチンと教育しなければならないと思います。

 
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