【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【医療】医療ミス・医療訴訟 #08
2014年10月29日 (水) | 編集 |
この「医療ミス・医療訴訟」の項は、部分的に読むと誤解されやすい内容だと思いますので、私の視座をご理解いただくため、カテゴリーの最初から読んでいただければ……と思います。





前回の続きです。

今回も引き続き医療ミスではなく訴訟について書こうと思いますが、視座を確認するため、『【医療】医療ミス・医療訴訟 #05-01』の冒頭部分を再掲します。

 この項の最初に書いたように『色々と批判もある』のはわかっていますが、あまりにも見ていてヒドイなあ~と思う例が多いので、個人的な思いを書いてみます。
 ここから先、現状認識をするため、医療訴訟を起こしている(または過去に起こした)人に対して厳しいことを書くと思います。
 ただ、思いの前提は
  (1).医療は個体差があり、そのため不確実性を内包するものであること
  (2).善意で行った行為が不幸な結果となった場合、それを裁くことができるのか?
 ということですので、あしからず……。



さらに、医療の質(コストを含む)にも影響が出ます。
所謂「Defensive Medicine(防衛医療)【注①】」の問題です。
要するに「訴訟になった時のことを考えて、本来は不要と思われることまで検査する」ことによる直接的なコストアップ(間接的には、それによる人件費の増加や時間の浪費が考えられる)や「医学的には妥当であっても、リスクが高いので処置を控えるようになる」という質の低下の問題です。
これらにより「助かる命が助からなくなる」という状態が発生します。

これらから医療訴訟は、原告にとっては何らかのメリットがあるのかもしれませんが、それによる社会的なデメリットが大きすぎると言えます。
厳しい言い方になりますが『個人的なメリットはあるかもしれないが、その個人のために社会的には大きなデメリットを背負うことになる』ということです。
人間であれば誰でも間違えますが、医療訴訟は『その間違えた者が「医者」であり、医者という仕事が「人間を相手にすること」であった』ということで、色々なことを好き勝手に言っている状況にあります(他の仕事であれば、同じような確率で発生する間違いについて、その間違いを起こしても同じような話にはならないはずです)。
そう考えると、本来は訴訟でどうこうする問題ではないはずのものです。
そろそろ社会全体が、そこに考えを戻して再考するべきではないかと思います。

(続く)

 medical(S).jpg



【注①】
 ※参考URL:防衛医療

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【医療】医療ミス・医療訴訟 #07
2014年07月11日 (金) | 編集 |
この「医療ミス・医療訴訟」の項は、部分的に読むと誤解されやすい内容だと思いますので、私の視座をご理解いただくため、カテゴリーの最初から読んでいただければ……と思います。




前回の続きです。

今回も引き続き医療ミスではなく訴訟について書こうと思いますが、視座を確認するため、『【医療】医療ミス・医療訴訟 #05-01』の冒頭部分を再掲します。

 この項の最初に書いたように『色々と批判もある』のはわかっていますが、あまりにも見ていてヒドイなあ~と思う例が多いので、個人的な思いを書いてみます。
 ここから先、現状認識をするため、医療訴訟を起こしている(または過去に起こした)人に対して厳しいことを書くと思います。
 ただ、思いの前提は
  (1).医療は個体差があり、そのため不確実性を内包するものであること
  (2).善意で行った行為が不幸な結果となった場合、それを裁くことができるのか?
 ということですので、あしからず……。



医師が1人、医業から離れるということが、どれだけの社会的損失になるのか?」を考えてみたことがありますか?
現在、医師免許を持っていながら医業に携わっていない者(年齢や病気によるものを除く)は相当数存在します。
中には家庭の事情(出産~子育て等)により医師という職から離れている者もいるでしょうし、医師免許を取ったものの医師ではない職を最初から選んだ者もいるでしょう。
でも、その中には訴訟によってヤル気をなくした者や訴訟を見ていてヤル気をなくした者も存在します。

以前も書きましたが、医師を育てるのに必要となる費用に税金が充てられている以上、医師を辞める者が出ると税金をドブに捨てるのと同じこととなります。
また、医師の数が不足している状況で減ってしまうと1人当たりの作業量が増えてしまい、それがミスの原因にもなります。
キツい言い方をすれば、次にどこかでミスが起きた場合、医師不足によるものであれば、その遠因として「誰かが訴訟を起こしたこと」があると言えなくもないわけです。

(続く)

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【医療】医療ミス・医療訴訟 #06
2013年12月04日 (水) | 編集 |
この「医療ミス・医療訴訟」の項は、部分的に読むと誤解されやすい内容だと思いますので、私の視座をご理解いただくため、カテゴリーの最初から読んでいただければ……と思います。




前回の続きです。

今回も引き続き医療ミスではなく訴訟について書こうと思いますが、視座を確認するため、『【医療】医療ミス・医療訴訟 #05-01』の冒頭部分を再掲します。

 この項の最初に書いたように『色々と批判もある』のはわかっていますが、あまりにも見ていてヒドイなあ~と思う例が多いので、個人的な思いを書いてみます。
 ここから先、現状認識をするため、医療訴訟を起こしている(または過去に起こした)人に対して厳しいことを書くと思います。
 ただ、思いの前提は
  (1).医療は個体差があり、そのため不確実性を内包するものであること
  (2).善意で行った行為が不幸な結果となった場合、それを裁くことができるのか?
 ということですので、あしからず……。



ここで、もう一つ問題となるのが別項でも書いた感情論です。【注①】
要は、論理的に正しいとか間違いの問題ではなく、感情として認めることができるかどうかの問題となってしまっていることです。
どんなに正しいことでも「認めたくない!」と思ってしまうと、それ以上は何も進展しません。
ここが問題を難しくしているのだと思います。

色々と書きましたが、少し考えてほしいのは、例えば「1万人助けて(成功して)も1人失敗すると、それは悪なのか?」ということです。
訴訟を起こした側(原告)から見ればonly oneであることは間違いないことですから、「なぜ?」と思うことは当然のことです。
しかし、そもそも医師というのは「医師免許を持っている人間」であって、神様ではないということも事実として認めなければならないことです。
ミスしない人間は存在しませんから、そういう意味では医師もミスをするのは仕方がないと言えます。
悪意を持って行った行為であれば訴訟を起こすことに問題はないでしょうが、全力で行った行為でも結果が悪ければ訴訟では変な話と言わざるをえません。
その結果が「リスクが高い診療科から離れる」や「リスクが高い病院から離れる」ことに拍車をかけ、場合によっては「医師免許を持っているにも関わらず医師を職としない」者まで出しているのではないでしょうか。

(続く)

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 (この絵については、こちら

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【注①】
 ※参考:【社会】感情論
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【医療】医療ミス・医療訴訟 #05-02
2013年10月02日 (水) | 編集 |
この「医療ミス・医療訴訟」の項は、部分的に読むと誤解されやすい内容だと思いますので、私の視座をご理解いただくため、カテゴリーの最初から読んでいただければ……と思います。




前回【注①】の続きです。
今回も引き続き医療ミスではなく訴訟について書こうと思いますが、視座を確認するため、前回の冒頭部分を再掲します。

 この項の最初に書いたように『色々と批判もある』のはわかっていますが、あまりにも見ていてヒドイなあ~と思う例が多いので、個人的な思いを書いてみます。
 ここから先、現状認識をするため、医療訴訟を起こしている(または過去に起こした)人に対して厳しいことを書くと思います。
 ただ、思いの前提は
  (1).医療は個体差があり、そのため不確実性を内包するものであること
  (2).善意で行った行為が不幸な結果となった場合、それを裁くことができるのか?
 ということですので、あしからず……。



医療に関係することで訴訟を起こさなければならないような状況になったことは、確かに同情します。
特に死傷を受けた者が子どもであれば、なおさらです。

そのような医療訴訟の多くで「キチンとした説明を受けていない」という言葉が出てきます。
説明が足りないとかという面もあるでしょうが、別項【注②】でも書いたように説明を受ける側にも理解するための努力が必要となります。
これだけ情報があふれている時代ですから、「理解できるまで説明してくれ!」はワガママにすぎません。
本気で話をしたいのであれば、できる限りの勉強はするもので、それをした上で「説明してほしい」と言うのが本来の姿です。
それなしで「説明が足りない」というのは、もともと変なのです。

そして、医療機関に行った時に「キチンと医療従事者側に状況を説明できましたか?」という部分が欠落しています
この初期段階でキチンと説明できていれば、訴訟の元となるような状況にはならなかったのでは?と思います。
親は医療については素人かもしれませんが、子どもを最も近くで見ている者でもあります。
その"最も近くで見ている者"が、いつもと状態が違うということをキチンと伝えることができないのが問題のスタートではないか?と思います。

医療従事者は神様ではありません。
医療従事者に「理解できるまで説明してくれ!」と言うのであれば、最初の段階で医療従事者に「理解してもらえるまで説明しなければならない」のは自明の理です。【注③】

(続く)

 medical(S).jpg
 (この絵については、こちら

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【注①】
 ※参考:【医療】医療ミス・医療訴訟 #05-01
【注②】
 ※参考:【ソノ他】言葉 #01
【注③】
 ・この場合、「説明」である以上、感情的になっていては既にNGです。
 ・あくまでも相手に理解してもらうために行うという目的を忘れては、「説明」できません。

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【医療】医療ミス・医療訴訟 #05-01
2013年07月10日 (水) | 編集 |

この「医療ミス・医療訴訟」の項は、部分的に読むと誤解されやすい内容だと思いますので、私の視座をご理解いただくため、カテゴリーの最初から読んでいただければ……と思います。



前回の続きです。

今回は医療ミスではなく訴訟について書こうと思います。

この項の最初に書いたように『色々と批判もある』のはわかっていますが、見ていて"あまりにもヒドイなあ~"と思う例が多いので、個人的な思いを書いてみます。
ここから先、現状認識をするため、医療訴訟を起こしている(または過去に起こした)人に対して厳しいことを書くと思います。
ただ、思いの前提は
 (1).医療は個体差があり、そのため不確実性を内包するものであること
 (2).善意で行った行為が不幸な結果となった場合、それを裁くことができるのか?
ということですので、あしからず……。


一般的に訴訟を起こせば「何かした!」と思うことができるでしょうし、訴訟に勝てば「悪いのはアイツだ!」と思うことはできるでしょう。
この傾向は、被害者が子どもであった場合に顕著です。
見ていると確かに同情するのですが、その反面「誰を悪者にして怒りをぶつけたい」ようにも見えます。
被害者が子どもであれば、親には必然的に「監督責任」や「注意義務」がありますので、他に誰も悪くなければ親の責任になるような風潮にあります。
このような状況を回避するために訴訟を起こしているようにも見えてしまいます。

これらが、本来は不慮の事故であるはずのものまで「誰かを悪者にしなければ……」という意識につながっているよう思います。

冷たいようですが……医療ミスが他人事ではないことは前に書きました。【注①】
その上で言っていますのであしからず……。

(続く)

 medical(S).jpg
 (この絵については、こちら

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【注①】
 ※参考:【医療】医療ミス
 【タイトル】
※参考:【医療】医療ミス・医療訴訟 #02

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【医療】医療ミス・医療訴訟 #04
2013年05月16日 (木) | 編集 |

この「医療ミス・医療訴訟」の項は、部分的に読むと誤解されやすい内容だと思いますので、私の視座をご理解いただくため、カテゴリーの最初から読んでいただければ……と思います。



前回の続きです。

さて、今の社会の中での医療の問題はいくつかあると思います(今回は社会的(制度的)な話です)。
その一つが「成功しても数十万円、失敗すると数千万円」というところです。
まあ、医者を1人育てるのに多額の税金を投入しているのですから、何度も失敗するような者がいると「何のために多額の税金を投入しているんだ!」ということになるでしょうから、失敗が多いのは問題ではありますが……。

そもそも「人の命は重い」というのであれば、成功しても失敗しても絶対値としては同じでなければならないはずです。
しかし現状は、成功して当たり前、失敗すると……。
このようなことは個体差を考えない……つまり自然物である人体も人工物である機械も同じであるというテーブルの上でしか成り立ちません。
それも機械の部品にも個体差がないという前提が必要となります。
そうでなければ機械であっても相性の問題はどうしようもなく存在してしまいます。
しかし医療を取り巻く状況は、失敗したと思われれば、一方的に責められる構図になっています。
この状況が正常なのでしょうか?

また、「何でも訴訟」というのも問題があります。
医療を取り巻く状況が上記のようなものであれば、何かあった(と思われた)場合の対策を取っておく必要があります。
そのために本来の治療という意味では不要な書類が増え、それを整理するために医療者が多忙となっています。
多忙な状態は、Risk Management的にはミスが発生する要因でしかありません。
極端に言えばRisk Management的には、そのような状況はミスが起きてることを拡大しているということです。
それが悪循環を作っており、医師がリスクの少ない病院(診療所)や診療科への移動が発生することが医師の偏在に繋がっているのではないか?と思います。
そうなると……リスクが高い病院(診療所)や診療科は、さらに忙しくなって行きます。

また、それを可能にしている医師免許の問題もあります。
医師免許はオールマイティに近く、ほとんどの診療科目を標榜して開院することができます。
簡単にいえば、外科医として専門的に学んだ者が、開業する際に『専門的な勉強をしなくても医師免許があれば』外科以外のリスクの少ない科を標榜しても良いということです。
その反面、標榜科目以外の病気であった場合には「専門ではないから」と言ったりします。
前例は「医師免許はオールマイティ」という前提の上に成り立っていますし、後例は「医師には専門性が求められる」という前提の上に成り立っています。
このダブルスタンダード……変な制度だと思うのは私だけでしょうか?

他にも医療を取り巻く問題は色々と考えられますが、医療を提供する側の問題だけでなく、医療を受ける側の問題を含めて考察し、社会全体が制度を見直す時期にきているのではないでしょうか。

(続く)

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 (この絵については、こちら
テーマ:ひとりごとのようなもの
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【医療】医療ミス・医療訴訟 #03
2013年03月12日 (火) | 編集 |
前回の続きです。

何度でも書きますが、医療の最大のリスクファクターは個体差です。
その中で書いたことですが、引用が長くなりますが大切なことですから再度記載します。

 これ(注:個体差)が医療訴訟の原因になっているものがあると思いますが、これを「発見できるはず」であり「事故は予見できたはず」として「医療提供者側の責任だ!」とするのは無茶苦茶な論理で、それをしようとすれば「多くの時間をかけることを容認」した上で「いくらでもお金を支払うという前提で検査をする」ことを最低条件とします。ただし「どこまで個体差を把握できるか?」また「その個体差によって何が起こるか」は確定できない(現状では把握できていないものがありますし、必ず例外が存在します)部分があるので、上記の最低条件下でも個体差による事故は理論上は完全には防げません(未来を知っている者がいれば別ですが……)。



学問は、世の中の物事の傾向を「一般化」することで知識を積み重ねていきます。
医学も「~学」の一つである以上、基本的には一般化されたものを対象としています。【注①】
ここを認識しておく必要があります。

また裁判でよく言われる「事故は予見できた」というのも「高確率で発生し、一般的には防止策や対応策を持っているもの」に限られるもので、それ以外は『後出しのジャンケン』にすぎません(要するに「後からであれば何でも言える」ということで、論理的思考からすれば「インチキ」といえる行為です)。

個体差による反応は、ストレスによる反応【注②】を考えればわかりやすいのですが、同じ環境下でも同じ刺激を与えても異なります(これが医療に不確実性を与えているものです)。
これを「全て予見しろ!」と言っているのに等しいわけですから、無茶苦茶としか言いようがありません。

要するに、このような範囲に入るものは最初からミスではないと言えます。
この辺りの「普通のことを普通に考える」ことができるかどうか?が問題なのだと思います。

(続く)

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 (この絵については、こちら

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【注①】
 ・「一般化」するということは、「例外を取り除く」ということと同意です。
 ・この辺りは、以前、書きましたが、再掲しておきます。

 医学は学問ですから、各々の理論や実技には何らかの前提(条件)が存在します。【注】
 医療行為は、学問の一分野である医学を社会の中で運用する行為ですから、各々の行為は「何らかの前提(条件)」の中でしか成立しません。
 したがって、同じコトをしても個体差によって反応が違う可能性があることを前提に受けなければならないものです。

【注】
  ・もともと学問上の知識には、各々の理論が成立するための前提(条件)が存在します。
  ・言い換えれば、その条件下にないものについては成立するかorしないかは不明であるということになります。
 ※参考:【医療】医療ミス


【注②】
 ・同じように花粉を吸っているにも関わらず花粉症が出たり出なかったりする等の反応やわかりやすいのは熱を加えたものを持ったり飲んだりした場合に感じる「熱い」という反応等。
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【医療】医療ミス・医療訴訟 #02
2013年01月15日 (火) | 編集 |
前回の続きです。

前回、『こういうことを言うと「医療ミスにあったことがないから言えるんだ!」と言われそうですが、それについては次回書きます』と書いたことについてです。
大雑把には、以前書いたとおりです【注①】が、書いておきたいこと【注②】があるので、重複しますが書きます。

私は(大雑把な言い方をすれば、または今で言う)医療ミス(判断ミス)により搬送が遅れ、帝王切開で生まれた子です(親戚中から「大変だった」と何度も聞かされました)し、その後(高校生の頃)も投薬ミスを受けて病院側から説明を受けたことがあります。

搬送先での帝王切開で子ども(私です)を取り出す場合の選択肢(条件)は、
 01-01.子どもは諦める。
 02-00.帝王切開により子どもを取り出す。
  -01.この場合、子どもは取り出しても死んでしまう可能性が高い。
  -02.01でない場合、母親が死んでしまう可能性がある。
  -03.悪くすれば、子どもも母親も死んでしまう可能性がある。
  -04.子どもは生きているかもしれないが、障害が残る可能性が高い。
だったそうです。
また、搬送先の医療機関で経過を聞いて「もっと早く搬送して(くれて)いれば良かったのに……」という状態だったようですから、もっと早い時期に搬送すれば、このようなRISKは低く抑えられた状態にあったようです。
そういう意味では、医師の判断ミスによって帝王切開になり、上記のRISKを踏まえた上で生まれました。

投薬ミスについては、薬を飲みだしてから調子が悪いので他の病院に行って判明したものです。
早めにわかって良かった……と言われましたから、判明するのが遅ければ何らかの後遺症があったかもしれません。
投薬ミスの後、病院(医院長と担当医)から私と母親に対して説明があり、何度も謝罪を受けたのですが、その時に母親が言ったのが「お医者さんは神様じゃないから、間違うこともある」ということと「何度もミスをしたわけではないので、謝罪は一度で良い」ということでした(慰謝料とかももらっていませんし、その後もその病院に行ったりしています)。
その時、「何も後遺症が出ていないから言えるんだろうなあ~」っと思っていたのですが、母親に聞くと「オマエが生まれて色々なことがあったにも関わらず、これまで生きて来られたのは病院があったからで、何度も救ってもらっておいて、1度失敗したからって責めれるか?」というものでした。
言われれば道理なのですが……。

医療訴訟の原因について『「助けてもらったことは当たり前」と思っているから、今の状況になっている』のだと思うものが多々見受けられるように思うのは、そのためかもしれません。

(続く)

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 (この絵については、こちら

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【注①】
 ※参考:【医療】医療ミス
【注②】
 ・これは、後半に書いた母親の言葉です。
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