【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【武道】柔道連盟から送られてきた冊子 #07
2017年08月02日 (水) | 編集 |
前回の続きです。

大会に出るのですから、もちろん負けるより勝った方が良いとは思います。
ただ「勝ち方」というものがあると思っています。
何をしても……反則ギリギリでも勝てばよいというのは違うと……。

また試合中に「技を出せ!」とか「(相手を)引け!」とか……色々な声を聞きます。
以前は、保護者でも声を出していましたが、現在では監督しか指示的なことを言うことは認められませんし、それも「止め」から「始め」の間だけに限定されています。
それはそれで良いことです。
でも……個人的には、それもなしにできないか?と思っています。

私は試合中に指示的な声を出すことはありません。
試合中に自分で考えてほしいですし、声を聞いて反応するまでに状態(状況)は変わっているからです。
まあ……私が好むのはそういうことが多いような……気がします。
囲碁でも将棋でも……。

さてさて柔道連盟から送られてきた冊子「柔道をよくしよう -柔道指導者への提言-」。
これをどれだけの指導者が目を通すのでしょうか?
良いことが書いてあるので、多くの指導者に目を通してほしいと思います。

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【武道】柔道連盟から送られてきた冊子 #06
2017年05月10日 (水) | 編集 |
前回の続きです。

話を戻しますが、その子供たちを大会に出すようになったのは、知り合いを増やすため……です。
私立を別にすると小学校は、学区がありますから近隣の子供たちと一緒に勉強します。
しかも6年間という期間がありますから、割合と仲良くなれる人数は多いと考えられます。
その環境から中学校になると知らない人が増えます。
そこで環境に慣れることができないとイジメの対象になったり、引きこもりになったり……という可能性が出てきます。
高校になると学区という考え方がなくなりますから、一層、知らない人と触れ合う機会が増えます。
そんな時に「どこかで見た(会った)人がいる」と気分が違ってきます。
大会に出している最大の目的は、これです。
要するに「友達作り」のため……ということです。

ですから大会の前に「勝ってこい!」とか「負けるな!」と言ったことはありません。
大会前に子供たちに言うことは、
 ・ケガをしないこと
 ・キチンと挨拶をすること
 ・普段してきた技を使ってみること
 ・友達を作ること
等です。

 (続く)

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【武道】身体の使い方 #04-02 背中を使う
2017年04月26日 (水) | 編集 |
前回の続きです。

個人的にはウェイトトレーニングはトレーニングは否定しないことは、前回書きました。
しかし動作そのものは全身運動です。
大切なことは、全身を上手く使うことができるかどうか?です

ウェイトトレーニングは、ある部分に負荷を掛けることで、その部位を強くする方法です。
例えばベンチプレスで100kgを挙げることがでるかどうか?を考えると、挙げることができないよりも挙げることができる方が良いに決まっています。
しかし……本当に「ベンチプレスで100kgを挙げる」ような能力が必要なのか???
話をする時に問題として提起しているのは、コレです。
分かりやすい言い方になりますが、100kgのものを持ち上げようとする時、ある部位の能力を使って100kgのモノを挙げる必要はなく、全身を上手く使って100kgのものを挙げる方が効率的です。
そして、この方が一部に大きな負担を掛けることはありませんから、ケガも少なくてすみます。
そうなると全身を上手く使う方法を練習することが大切だと分かるでしょう。

身体を上手く使うということは、本来は「同じことをするのに、どれだけ楽に出来るようにするか」ということだろうと思います。
しかし……これが忘れられているのではないか……と思います。

 (続く)



【参考】
 ※参考:【武道】身体の使い方 #04-01 背中を使う

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【武道】柔道連盟から送られてきた冊子 #05
2017年03月29日 (水) | 編集 |
前回の続きです。

柔道でケガをした……そんな話を聞きますし、そんな報道を目にすることもあります。
多分、その原因は、「柔道」が「JUDO」になってしまったからだろうと思います。
柔道の理念は、「ルールの中でどう勝つか?」ではないはずなのですが……。



技の話で言えば、個人的には背負い落とし(背負い投げと体落としを合成したような技)と呼ばれる技やケンケン内股等も好きではありませんし、教えません。
そもそも小学生に片足立ちになって相手を自分の上に載せるような技(例えば内股等)は、技を掛ける側に大きな負担が掛かります。
それは掛けられる側のケガのRISKを大きくしますから……。

また巻き込み系の技(背負い巻き込み等)が、転がった相手の上に載ることになります。
そのような状態に回転しながらなるのですから、自分の体勢をコントロールできませんし、そうなると掛けられた側のケガのRISKを大きくします。

少年規定では、両膝を付いての背負い投げについては、以前から反則行為となっていましたが、最近まで緩い感じで判定されていました。
それが少し厳しめになってきました。
子供の頃から両膝を畳に付く(と言うより体重が掛かった状態で畳に当たる)ことは、膝へのダメージが大きいので決して良いことではありません。
その意味では、「厳しめ」というより「即反則」ぐらいにならなければいけないと思ったりします。

 (続く)

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【武道日記】させたくない…… #05
2017年02月15日 (水) | 編集 |
前回の続きです。

しかし……だからといって言語化しなくても良いという話ではありません。
言語化することは、共通認識に繋がります。
細かい部分は、各々の感性の違いから差違は出るでしょうが、幹の部分は共通認識しやすくなります。
それは技術の伝承という意味では、大きな意味を持ちます。
逆に言えば、どんなに素晴らしい技であっても……それが出来ていないと「伝説の技」になってしまいますし、失伝の原因となります。

各々で感覚が違うのですから、教える側がキチンと教えなければ伝わるはずはなく、それは教える側が伝えたいこととズレてしまいますから、お互いに面白くない状態が続いていくことになります。
それで面白くなるでしょうか???
その結果、「楽しくなかった」という思い出になってしまっているのではないか?と思っています。

また大人になってから柔道(空手)を再開しようと思わないという人も多いのですが、これも同根だろうと思います。
もちろん野球におけるキャッチボールのような手軽にできるようなことが少ないため、再開するにはハードルが高いから……かもしれませんが……。

とりあえず……親が武道をやっていたものの、子供にはさせたいとは思わないという状況は淋しいなあ~と思います。

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【武道】柔道連盟から送られてきた冊子 #04
2017年01月15日 (日) | 編集 |
夜中の音から想像すると「よく降りましたね……」と思っていたのですが、実際にはこんな感じでした。

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実際の雪より音が大きかったようです。
すごい風の音がしていましたが、雪はそれほどでもなかったようです。
道路は、冷たい風に吹かれて、ツルツルになっていましたから。
外出注意!という感じです。



さて……前回の続きです。

ただし柔道では「相手を破壊する」ことを目的にはしていません。
それは柔道の理念である
 ・精力善用
 ・自他共栄
を考えると分かります。
精力善用は、、『いかなる場合でも、その目的を果たすためにもっとも効力あるように己の心身の力を働かせること』という意味、自他共栄は『自己の栄えのみを目的とせず、助け合い、譲り合い、融和協調してともに栄えることを目指すこと』という意味です。

また柔道の創始者である嘉納治五郎氏は、柔道修行の究竟の目的として
 柔道は心身の力を最も有効に使用する道である。
 その修行は攻撃防御の練習に由って身体精神を鍛錬修養し、その道の神髄を体得することである。
 そうして是に由って己を完成し世を補益するのが柔道修養の究竟の目的である。
という言葉を残されています。

それゆえ柔道の技は、使い方によっては相手を破壊することができますが、そのような使い方をしないで、相手へのダメージをコントロールするところまで稽古しなければならないと思っています。

 (続く)

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【武道日記】させたくない…… #04
2016年12月14日 (水) | 編集 |
前回の続きです。

別項でも書いていますが、「できること」と「教えること」は別の能力を必要とします。
その意味では、「できる人」が教えていたのかもしれませんが、その人に「教える能力」があったのかどうか?は定かではありません。
説明できないから「文句を言わず、やっておけ!」と言っていた可能性もありますし……。

確かに身体を使うことは、言語化することが難しい面があります。
というより……それがほとんどです。
感覚は、各々で違いますから「少し強く」の「少し」は言語化することは困難です。

また言語は、ある瞬間を切り取って表現するには適していますが、動いているもの(こと)を表現するのは苦手な面がありますし、同時進行していることを適切に表現することはさらに苦手です。
一方で言語は、受け取った側の感性で理解が変化します。
それが画像との違いです。
この辺りの特徴があるので、身体を使うことを言語化することは難しいことです。

それ故、身体を使うことの多くは「学」ではなく「術」として伝承されています。
それを覚える時に「見て覚えろ」とか「技を盗め」とか……そういう要素が多いことは、たいてい「学」にはなっていません。

したがって教える側は、色々な意味で頭を使って技術を伝えなければなりません。

 (続く)

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【武道】柔道連盟から送られてきた冊子 #03
2016年11月12日 (土) | 編集 |
前回の続きです。

現状の柔道のルールでは、相手の背中を畳にどう付けるか?を考えていくことになります。
今では反則になるようになりましたが、それが行きすぎた結果、一時、両手刈り(タックル)が多用されるような状態になっていました。
柔道が「ジャケット・レスリング」と呼ばれていた時代です。
この頃の柔道は、テレビで見ていても面白くないなあ~と思っていました。

まあ……個人的には両手刈り(タックル)そのものは否定するべきではないとは思います。
問題は「相手の背中を畳に付けるとポイントになる」という部分で、相手にダメージがない状態で背中を付けることに意味があるのか?という部分を考えていないのでは?と思ったりします。

後方に倒れて、勢いよく背中を畳に付くとどうなるでしょう?
肺の空気を一気に吐き出してしまい、一時、動きが止まってしまいます。
本来は、これがポイントになる投げです。
同じ「畳に相手の背中を付く」と言っても、「投げた結果」と「転がした結果」では違っています。

 (続く)

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