【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【囲碁】囲碁で思うこと #02-02
2017年03月04日 (土) | 編集 |
前回の続きです。

基本的に武道(武芸や武術を含みます)は、思想とセットとなっています(別項でも書いたように思います)。
ただの技術体系ではありません。
技術体系と言うのであれば、「どう身体を(有効に)使うのか?」という体系です。
そう考えると「着衣でするレスリング」を柔道と呼んで良いのか?と……。

話が逸れていますが、話が逸れたついでに……。

私が囲碁を打ち始めたのは高校生になってからで、それまでは将棋を指していました。
将棋で「もう少しで勝てる!」という時に安全な手を指すと、後で「決めるべき時にはキチンと決めなさい!」と言われていました。
それに「勝てば良いというものではない」とも……。
要するにキチンと先を読めば数手で終わる局面で、安全策を講じると倍以上の手数が必要になったりします。
それは……言い方は悪いのですが「相手をなぶり殺しにするのと同じ」ということであり、切腹で苦しんでいる者を介錯しないで放置しておくのに等しいと言われました。
その意味で「勝つ時にはスパッと勝ちなさい」と……。
逆に情勢が悪い場合でも同じです。
将棋(囲碁で同じですが)番組で解説を聞いている(見ている)と「こんな手は指したくない」とか「負けても指さない(打たない)」とか……そういう表現をされることがあります。

要するに勝っても負けても……格好悪いことはしないということなのだと思います。

 (続く)

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【囲碁】囲碁で思うこと #02-01
2016年05月06日 (金) | 編集 |
前にも書きましたが、囲碁で「どこに打ったか?」を書き残したものを棋譜と言います(将棋で「どの駒をどう動かしたのか?」を書き残したものも同じように棋譜と言います)が、プロの棋譜を並べてみると色々と感じることがあります。

特に日本人同士で打たれた棋譜を並べてみると……解説を見ながらでもよく分からない手が多いように思います。
強い人同士のものですから、勝つための一手を打っているはずなのですが、どうも日本人同士のものには、それとは違う何か(というと語弊がありますが、他に表現できないので……)が付加されているように思います。。
特に古い棋譜は、「キレイに勝つ」とか……そういう観念を纏った手になっているような気がします。
逆に最近の棋譜や外国人の棋譜を並べてみると、とにかく「勝つため」という目的に沿ったものになっているように感じます。

柔道の試合を見ていると同じようなことを思います。
日本人選手の柔道は、良くも悪くも「キチンと投げる(一本になるように投げる)」とか「キチンと制圧する(抑え込む)ことで勝つことを目標にしているように思います。
一方で外国人の柔道は、前半部分がなくなってしまい、勝つということに特化されているように思います。
それが柔道らしくない技であっても反則でなければ……ということに繋がり、「着衣でするレスリング」と揶揄される状況になってしまったのではないか?と思います。

それを私は「柔道」と「JUDO」の違いと言っているのですが……。

あくまでも柔道は「武道(武芸でも武術でも良いのですが……)」です。
畳があって、ルールがあって、その中だけで競うためのものではないと思っています。
まあ……それを柔道教室で言っても、なかなか理解されないのは仕方ないのですが……。

話が逸れてしまいましたが、この辺りは日本人の気質というか文化というか……そういうレベルの話なのだろうと思います。

 (続く)

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【囲碁】Twitterにて
2015年09月11日 (金) | 編集 |
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書きたいことが書ききれない……。
ということで、ここで書ききれなかった部分を書いておこうと思います。

※少し前のツィートです。

▼囲碁や将棋は、頭を使うという意味では学校の勉強と同じだが、違うのは……答えを出すのではなく、相手と競いながら答えを作っていくということだと思う。スタートは同じでも完成形は一回一回違う。それが面白い。


囲碁や将棋が面白いのは、スタートは同じでも完成形は一回一回違うということです。
将棋盤は9×9、駒が40枚。
碁盤は19×19。
そう考えると多分……組み合わせの数には本来、限りがあるように思いますが、なぜか同じ形にはなりません。
初手から数手は同じ形になることもありますが、どこかで何かが変化して行き……、それが予想できません。
それが学校での勉強と一番違うところでしょう。
そして自分の頭で導き出すのが学校の勉強なのですが、囲碁や将棋は相手がいて成立するものです。
言い換えれば、相手と一緒に……それも競い合いながら完成形に向かっていくところです。
それはアル意味で相手との情報のやりとりを繰り返すことです。
インプットとアウトプットの繰り返しです。
毎回、思いがけないことが発生しますが、なぜか……それなりの形に収まったりするのも不思議なところです。

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【囲碁】古碁(秀策-算知)
2015年04月25日 (土) | 編集 |
久しぶりに一局ならべてみました。
並べてみたのは、秀策が若い頃に打ったものです。
黒が秀策で、この局面。
右辺の黒2子を攻撃されそうな状態になっています。

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間を遮られたくないので、この辺り(もう1路左か、その2路下か隣か……)に手を入れておきたいなあ~と思うのですが……。

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何と……まあ……秀策は、守備ではなく攻撃の手を打ちます。
それがここ。

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いや~~~思い付かないですね……。
絶対に守ってしまいそうなのですが……。

そして二の矢を飛ばして……。

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落ち着いてみると、こんな局面に……。

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最終的には、169手で黒の中押勝ちになりますが、お見事としか言えないですね。
15歳でこれですから……天才は違う!と思うしかないです……。

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先を見て、構想を練る。
色々な変化があるのでしょうが、それらを予測しながら、打ち進めていく。
この能力が必要なのは、囲碁に限ったことではないのでしょうね。
現代のように変化が激しい時代にこそ必要な能力なのかもしれないなあ~と思います。

それにしても……こうして古碁をならべていると棋譜の素晴らしさを感じずにはいられません。
この一局は、天保14年のものですから、今から200年ぐらい前のものです。
それが再現できること、そして学べること……。
棋譜を考えた人に感謝しないといけないなあ~と思います。
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【囲碁】ルール #10
2015年04月10日 (金) | 編集 |
前回両コウを紹介しました。

ではコウが3個になるとどうなるか???
それが、この図です。

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  【図①】

この状態から黒が写真の右側のコウを取ります。
それが【図②】。

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  【図②】

これで右側の白石はアタリ(次に相手に取られる形)になっています。
そうなると白から写真の左上のコウを取ります。
それが【図③】。

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  【図③】

これで左側の黒石はアタリになっています。
黒は取られたくないので、写真の左下のコウを取ります。
それが【図④】。

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  【図④】

これで写真の右上のコウを取ることができますから、白はコウを取ります。
それが【図⑤】。

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  【図⑤】

以下、黒が左上のコウを取り【図⑥】、白が左下のコウを取ります【図⑦】。

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  【図⑥】

  

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  【図⑦】

これもルールに何も記載されていないと延々と繰り返されることになり、対局が終わりません。
ということで……左側の図は、前回両コウセキ、右側は白が取られていると決められています。
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【囲碁】囲碁で思うこと #01-02
2015年01月25日 (日) | 編集 |
前回の続きです。

囲碁(将棋でも同じですが)で、一局の最初から最後までの手順を書き残したものを棋譜と言います。
これがあるおかげで、100年前の対戦でもその手順を再現することができますし、色々と研究することができます。
そのおかげで進歩することができます。

さて……以前、「【組織】総括(管理)部門宛に提出した文書から #06(Management)」で、こんなことを書きました。

* Managementは、「各要素の状態を把握し、実行できるよう調整していくこと」、「予測と制御(Prediction and Control)が基本ですが、そのようなことが考えられているのかどうか疑問に感じています(「管理のために管理」になっていないかどうか?)。


予測や制御するためには、それまでの蓄積された事例が必要です。
それなしで考えると……それは妄想の域に入ってしまうRISKを負います。
また起きたことへの対応をブラッシュアップしていかなければ、いつまでも手間が掛かるような作業を繰り返すことになります。
その意味では、それまでの事例や対応を記録しておくことは大切なことです。

また「【組織】総括(管理)部門宛に提出した文書から #08-01(整理①)」では、こんなことを書きました。

* 書類や作業手順が整理されていれば困らないようなことが、整理されていない(何をしたのかが分かるような「足跡」が残されていない、その辺りにあった資料を整理しないで穴を開けて一塊にしてる等)ため、どういう作業がされた結果なのか?を理解するまでに時間が掛かることが多く、時間のロスだと思います。


こんなことは当たり前のことなのだと思っていますが、実は異動すると前任者が書類の整理をしていないことが多々あります。
その結果、無駄に時間を費やす(前任者に聞いても「覚えていない」と言い、本人が「何をしたのか?」が分かるまでに多くの時間を要するため)ことになります。
ですからキチンと整理してあれば……と思うことが多々ありますが、それが普通なのでしょうか???
こんなことを感じるのは、棋譜の有用性を知っているからなのか???と思ったりしますが、多分……本当は……普通に仕事をしていれば、分かることなのだろうと思います。

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【囲碁】ルール #09
2014年11月09日 (日) | 編集 |
囲碁で面倒な形をいくつか紹介しました。
これまで紹介したコウセキ
その両方が組み合わさったのが「両コウ」です。
これが両コウの図です。

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ダメが1箇所、それにコウが2箇所。
どちらからもダメを埋めることができません(埋めると取られてしまいます)。
コウは、すぐには取り返せませんが、この形では両コウになっているところが入れ替わるだけになってしまいます。
で……繰り返しになってしまいます。

【図①】
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【図②】
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【図③】
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  (【図①】に同じです)

こうなると延々と繰り返され、対局が終わらないことになります。
ということで、この形は、この状態でセキと決められています。
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【囲碁】古碁(算哲-道碩)
2014年10月18日 (土) | 編集 |
時間があったので、古碁を並べてみました。
今回は、算哲と道碩の一局です。
どちらも天才と言われる名手。
それだけに予想できないような手が出てくるだろうなあ~と思いながら碁盤に向かいました。

で……並べようとして驚いたのが、一手目。
そこですか……。

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確かに今とは価値観が違うので、色々な序盤が見られるのも古碁の魅力です。
定石も今とは違っているのか、発展途上なのか……。
今ではあまり見られなくなった石運びも見られますし……。
それにしても一手目が辺ですか……。
囲碁は最終的には陣地の大きさを競うゲームですから、囲いやすそうなところから手を付けるようなもの……。
そうなると囲いやすい隅から普通は打っていく【注①】のですが……。

この一局、道碩の攻めが厳しくて、並べていてスゴク面白かったです。
しかも……。

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左下隅が空いたままになっています。
手元には、ここまで(112手)の棋譜しかありません。
古碁の棋譜は、最後まで残っていないものがあります。
これもそうなのか、キチンと残っているのか……。

でも、こうして棋譜が残っていて、それを並べて勉強したり、感動したり……ということが出来るのは、スゴいことだと思います。
「学ぶ」は「真似る」からですから、学ぼうとすると見本になるものが残っていることはスゴく良いですね。
しかも時代を越えて再現できる……素敵だと思いませんか?



【注①】
例えば四角く陣地を囲う場合、
 ・隅……2辺
 ・辺……3辺
 ・中央……4辺
に石を置かなければならない、つまり手が掛かります。
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