【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【Risk Management】#05-01_セキュリティ
2010年03月24日 (水) | 編集 |
セキュリティの話が出てきましたので、余談を……。
コンピュータの世界でセキュリティは、元々「ウィルス」や「スパイウェア」のように外部から侵入して来る驚異に対して、どのように対応するか?対策を取るか?と言うところから一般的になりましたが、現在では内部統制を含む大がかりなものに変わって来ました。
これは個人情報の流出が、内部の者の行動に起因することから始まったものですが、現在では「行き過ぎ」のような状態になっています。
元々、人間を含む自然物には「管理」と言う行為が適用されない(できない)もので、それらを管理しようとする行為を個人的には『管理したい症候群』と呼んでいますが、これはコストアップの一因となります(一応、「対策は取っている」と言いたいためにやっていることもありますし……)。
嫌な例ですが、例えば「個人情報流出を防ぐために必要となるコスト(セキュリティの維持管理費用等)」と「個人情報が流出したために必要となるコスト(損害賠償や調査費用等)」を比較した場合、人件費まで含んで考えると後者の方が低くても済みます。
もちろん「信用を失う」ことによる損失も計算に入れる必要がありますが、これを含んでも後者の方が低コストである可能性があります。
本来、管理は全体の効率をアップすると共にコストダウンを考え方の基本としていますが、現在、叫ばれているセキュリティは、そのために必要となるコストとの比較をによる導入ではなく、一種の流行りで行っているというのが実情ではないでしょうか?

(続く)

 Risk Management(S)
 (この絵については、こちら
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【社会】言葉 #01
2010年03月24日 (水) | 編集 |
整体をしている時、空手を教えている時、柔道教室で子ども達の相手をしている時……色々な年代の人と話をし、何かを説明するのですが、その時に壁になるのが「専門用語」の類です。
その業界の人の中で話をするのであれば問題なく通用する用語も、業界の外では特殊な用語になることは珍しくありません。
色々な業務を抱えているところで働いていると、そういう場面に直面するのは珍しいことではありません。
整体を頼まれた時に言われるのが、「●●(他の整体院等)で説明を聞いたが、難しい言葉が多くて意味がわからなかった」ということです。
こう言われた時には『次に行った時には、「わからないことはわからない」と言って、説明してもらうと良いですよ』と言います。
難しいことを難しいまま言うのは、簡単なことです。
中には専門用語を使うことで、「エライ先生」に見られると誤解している人もいて、無理をして専門用語を使っていたりすることもあります。
しかし、その道の専門家という自覚を持っているのであれば、「どうすれば相手に伝わるのか?」を考えているはずですし、その自信があるなら説明はできるはずです。
その時、たまたま難しい言葉で話してしまった可能性もありますので、「わからないことはわからない」と聞くのは大切なことです。
しかしながら、この情報があふれている時代ですから何でも聞けば良いともいえません。
説明する側には「できるだけ」簡単な言葉で説明することが求められますが、それ以上は分解して説明できないものも多々ありますし、用語を置き換えるとわかりにくくなるものもあります。
当然、時間に制限もあります。
その辺りは「説明を受ける側」が努力すべきことだろうと思います。
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【社会】卑怯な論理
2010年03月24日 (水) | 編集 |
世の中で一番卑怯と思う論理が「私のことはわからないでしょう!」という言葉です。
何かの交渉事の際にこのような内容の言葉を使うということは、言い換えれば「私はこんなに大変なのだから、何とかしなさい!」と言っているわけで、こんなに卑怯で理不尽な言葉はありません。
そもそも「他人のことが理解できる人間が存在している」とでも考えているのでしょうか?
「他人のことが理解できる」ということと「他人のことを思いやる」または「他人の気持ちを考える」は別物です。
いくら「他人の気持ちを考える」ということを実行しても、そこから導き出されたものは「他人の気持ちがわかったような気がする」というレベルのものであり、『他人の気持ち』そのものではありません。
生まれて以降、各々に成長する環境が異なりますから、どの時点を切り取ってみても他人と同じという段階はありません。
ありえないことですが……仮に同じ環境になったとしても、個体差がある以上は同じように感じるとは限りません。
また、それとは逆に(これもありえないことですが)個体差がないとしても環境が異なれば、同じように感じるとは限りません。
したがって、どんなにキレイな言葉を使っても他人に気持ちそのものを理解することはできません。
これは大前提です。
ところが、この大前提が理解できていないから、「私のことはわからないでしょう!」的な発言が色々な場で飛び交います。
大体において……そう言っている人は、そう言われている人のことを考えていないから言えることであって、その言葉そのものは、まず発言した者が考えなければならないことです。
要は、自分のことは棚にあげて……ということに他なりません。
それを口にすること、それは口にした人が他者のことを考えていないということを公言していることと同じことです。
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