【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【etc】冷たい人 #02
2010年04月29日 (木) | 編集 |
前回【注①】の続きです。

どんなに冷たい内容であっても、所謂「オブラートに包む」ようにして柔らかい言い方をすれば暖かみは出るとは思いますが、それは他方で「わかりにくい」とか「誤解を招きやすい」とかというデメリットが発生します。
本来、議論は議論でしかなく、そこに発言者の人間性は現れません。
それがディベートの原則です。【注②】

まだUPしていない原稿を読むと、かなり冷たい書き方をしているものが多々あります。
医療訴訟について書いたもの、保険制度について書いたもの……。
中には現状認識をキチンとするために意識的に冷たい書き方をしているものもあります。
人間は、見たくないもの(都合の悪いもの)は意識的に排除する(見ないことにする)ことが多々ありますし、それを意識に載せようとすると「それなりのショック」が必要となります。
少なくともココで書いていることのほとんどは、どこかで誰かと話をした内容であり、「冷たい」と言っていた人でも「それなりに理解できる」程度のことです。
だからと言って「正しい」と言うつもりはありませんが……。
インターネット上は玉石混淆で色々なものがUPされていますが、見たくないものであってもシャッターを閉じない方が良いと思います。



【注①】
 ※参考:【etc】冷たい人 #01
【注②】
・ディベートの訓練では、あるテーマに対して個別の意見に関係なく「賛成/反対」にグループ分けして議論します。
・例えば10人で「携帯電話は必要」というテーマを設定し議論する場合、10人をクジ引きで2つのグループに分け、それをクジで「賛成/反対」に割り当てます。
・したがって「思い」や「感情」とは別次元で行われます。
・これを訓練としてではなく、本当に議論するわけですから、そこに「感情」が入り込む余地はありません。
・日本では、このような訓練が不足しているので、「感情論」に走りやすいと言えます。


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 (この写真については、こちら
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【政治】民主党政権 #15(圧力……)
2010年04月29日 (木) | 編集 |
火に油を注ぐ……とは、このことでしょう。
検察審査会が、民主党幹事長を起訴相当と議決したことに対して、民主党内で司法制度見直しについての議連を発足したようです。【注①】
国民感情から遠く離れているということで裁判員制度が始まり、それと同じような理由で検察審査会制度が変わりました。
それに対して「国民感情で司法制度が揺さぶられている。裁判員制度も検察審査会もおかしい」とは……どういうことなのか理解できません。
要するに「自分達に不利になるようなことをするorできる制度は認めない」と言っているに等しいわけです。
参考にした記事の中に『民主党の議連が審査のあり方に言及したことで、「圧力ではないか」との批判が出る可能性もある』と書かれていますが、これが圧力でなければ、何が圧力なのでしょう?
国民感情という火に油を注いでしまったように思います。
この人たちは、検察審査会が国民の代表により議決される場だということを忘れているのではないでしょうか?
国民のため……ではなく、民主党議員のための政治になってはいないでしょうか?

何度も書きますが、別に自民党を支持すると言っているわけではありません。
しかし、民主党はあまりにヒドイ……。
タウンミーティングで子ども手当について意見が出ると「子ども手当には子どもを育てる負担を和らげるという理念がある。(そう言うのなら)民主党を支援してもらわなくても良い」と声を荒げる人がいたり【注②】、検察審査会で都合の悪い議決が出ると制度を見直すべきだ!と言ってみたり……自民党より民主党の方が国民から乖離しているのではないか……と感じています。
民意とか国民目線とか……そんな言葉を使っていた政党とは思えません。

この前の衆議院選挙の時に、民主党が今のような状況の政党だということを知った上で票を投じた人がいるでしょうか?


【注①】
 ※参考URL:民主・辻氏、検察審査会に疑問=司法制度見直しで議連発足
 ※参考URL:検察審査会見直し議連、民主議員有志が設立
【注②】
 ※参考:【政治】民主党政権 #13(タウン・ミーティング)
 ※参考URL:民主県連代表が激高
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【社会】年金制度
2010年04月29日 (木) | 編集 |
別項で後期高齢者医療制度のことを書きました【注①】ので、ここでは年金制度について書いてみます。
年金は「世代間の支え合い」であり「世代間の公平を保つ」ように制度を運営しているのだそうですが、これが誤魔化しなのは誰の目にも明らかです。
「世代間の支え合い」と言いながら、現在、年金を支給されている側と比較すると若年層の負担は大きく、そういう意味では「一方的に支えさせられている」状態にあります。【注②】
また「世代間の公平を保つ」のであれば、現在、年金を支給されている側と同じような負担率(対GDPでも良いのですが)でなければなりませんし、給付についても同じような率で支給しなければならないわけです(年金の受給年齢を上げていますから、その時点でウソ全開です)。
良いことを言っているようなのですが、実際には誤魔化しでしかありません(後期高齢者医療制度の項でも書きましたが、それに若年層が気付いてしまっているのがイタイのでしょう)。
世代間の……というのであれば、上記のとおり例えば対GDP等を基準として負担も給付も決定する手法を取る(当然、支給年齢も一定とする必要があります)か、人数に関係なく総負担額や総支給額を一定にするかのいずれかしかないと思います。【注③】
このうち「世代間の……」を謳うのであれば、「人数が多い世代は負担は小さいが、給付も少ない」または「人数が多い世代は負担は大きいが、給付が多い」でなければ公平等とは言えないため、後者でなければならないわけです。
今の制度では「何を」「どう」支え合っているのか?、または「何が」「どう」公平なのか?が全くわかりません。

後期高齢者医療制度の項で『保険も年金も制度上の問題ではなく、大きな問題は突出して多い「団塊の世代」であり、言い換えれば「団塊の世代の問題」とすることができる』と書きました。
本来は、上記に書いたような世代間の不公平を解消する方法を議論し、「団塊の世代」については税金を投入するなり、一時的に消費税を上げるなり……を考えれば良かったわけです(それでも一時的に負担が増える割には給付が増えない世代が出ますから、不公平には変わりはないのですが、不公平の度合いは小さくて済んだはずです)。
確かに問題の原点は「団塊の世代」なのですが、制度運営においてキチンと運用を定めなかったことが傷を拡げているとしか思えません。


【注①】
 ※参考:【健康】後期高齢者医療制度 #01
 ※参考:【健康】後期高齢者医療制度 #02
【注②】
 ※参考:【社会】税金 #01
 ※参考:【社会】税金 #02
 ※参考:【社会】税金 #03
【注③】
・ここに書いたように今の考え方は「世代間の支え合い」ではなく、世代間は不公平な状態にあります。
・世代間を公平にして、本来の意味での「支え合い」にしようとすると間違いなく票を失うことになりますから、いつまでも「支え合い」にはならないでしょう。
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