【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【日記】かみーゆを思い出した……
2010年06月17日 (木) | 編集 |
いつも柔道や空手の練習をする武道館の近くで、捨て猫を見かけました。
ノラ猫ではなく、捨て猫。。。
近くを歩くと近寄ってきて、あしもとをウロウロします。

そういえば……かみーゆも最初に見かけた時は、そういう感じだったなあ~と思いました。
かみーゆの場合、捨て猫になって既に数日が過ぎていたような感じで、うす汚れて、腹が減っていたためか元気もなく、ウロウロというよりノロノロかフラフラでしたが……。

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今日の猫、多分……まーふぃーがいなかったら、連れて帰ったと思います。
でも……まーふぃーは、根性なし。。。
何度か猫にやられていますから、連れて帰るとストレスになるかも……。
ストレスで終われば良いのですが、階段から落ちるとか……ケガをすると困るので連れて帰れませんでした。

しかし……人間に慣れてしまったペットを捨てるって、どういう気持ちなのでしょう。
人間と一緒に暮らしてきた動物は、自分で食べ物を捕ることができません。
簡単には野生に帰ることはできません。
かみーゆは、それでフラフラになっていたのですから……。
最後まで面倒をみる自信がないなら、最初から飼わなければいいのに……と思います。
そして、一度、飼ったなら、最後まで面倒をみなければ……。

自分の都合だけでモノを考える、その延長上に幼児虐待DVもあるのではないか……と思います。
人間であれば訴えることができますが、動物は訴えることができません。
動物を飼う時には、最初にキチンと考えてからにしましょう。
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【社会】権利と義務
2010年06月17日 (木) | 編集 |
世の中、色々なことがありますが、義務を果たさないで権利だけを主張する人がいます。

これを肯定するかのように……権利義務については「義務があって権利があるのではない」という主張があります
これは一面、正しいことです。
一面と書いたのは、『権利義務という「概念の発生において……」という意味では……』ということです。

しかし、これはあくまでも「概念の発生」の話です。
現実社会では、どうか?となると別の話となります。

権利義務は、ある集団の中でしか通用しない概念です。
集団が変われば、権利義務も……その内容は変わります。
ということは、集団というマクロを守らなければ、権利も義務も守られないということです。


わかりやすい例を挙げれば……会社で雇用保険に入っていて、各々が
 ・保険料を支払うのは義務
 ・保険給付を受けるのは権利
ですが、会社が倒産した場合や保険料を支払えなくなった場合には、権利も義務も消滅します。
したがって、この例の場合には会社があって……とか保険料を支払える環境にあって……の権利/義務でしかないということです。

そうなると権利/義務の存在は、まずはアル集団が存在することが前提となります。
これは、集団を存続させるために必要なもの存在させることが先になければ成立しないことを意味しますので、実社会においては義務を守ることによって権利が守られることになります。
これを概念上の権利/義務の話にすり替えている人がいますが、この行為は権利/義務を存続させるための土台(集団)を破壊する行為です。
実社会は、学問上の知識【注①】を使うことができる形で運用しているものですので、概念上の話だけでは無理があります。

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【注①】
 ・学問上の知識には、各々に前提(条件)があります。
 ・これは、学問上の知識は「あらゆる場に対して有効というわけではない」ということです。
 ・要は「ある条件下では……である」というものです。
 ・したがって、学問上の知識をそのまま実社会で運用することは困難です。
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【政治】民主党政権 #02-04(マニフェストと政権交代@コンクリートから人へ)
2010年06月17日 (木) | 編集 |
『コンクリートから人へ』……このキャッチフレーズも耳には心地よいのですが……。

日本社会は、会社で産まれる多くの財により成り立っています。
それは技術であったり、技術によって生産された物品であったり、国際金融であったり……するわけです。
これまでの日本政府は、会社に対して優遇措置を取ったり、会社の収入になるような政策を取ったりしてきました。
したがって、正確には『会社から個人へ』でした。
その一部が道路を造ったり、河川を直したり……という形を取っていたに過ぎなかったのですが、そこが目に付くのでターゲットにされてしまいました。

そうなると何が起きるのでしょうか?
会社にお金が入らないということは、会社にあった技術を育てる力や物品を生産する力、国際金融で勝負する余力を失わせることになります。
これは会社組織の弱体化を意味していますからリストラに拍車が掛かりますし、リストラまで行かなくても低賃金労働に拍車が掛かります。
さらに長い目で見た場合には、国際的な競争力を低下させますし、これは短期間で取り戻せるものではないため長期的な不景気を生む要因となります。


また、俗な言い方になりますが、「会社が儲かる」という施策は河川の上流に水を流すことに似ており、一方で個人にお金を与えるという施策は、河川の下流に水を流すことに似ています。

どちらが影響範囲が大きいか?考えるまでもないでしょう。
ものは下流から上流には流れません(巡り巡って上流に戻ることはありますが、時間を要しますし、正確に戻っているかどうかは証明できません)。
上流に流しておけば、途中で引っ掛かるモノも出てきますが、それなりに下流に向かって流れます。
要するに前者は影響範囲が大きく、後者は小さい……そういうことです。
さらに現状の不景気で先が見えない状況では、給付された財は市場を流れず、貯蓄になる可能性が大きいため、景気対策にはなりません。
これは、税金として集めたものが、個人の財に変わるだけ……ということに他なりません。

上にも書きましたが、『コンクリートから人へ』は正しくは『会社から個人へ』であり、もっと言えば『会社から"一部の"個人へ』でしかないということに気付かなければなりませんし、『下流から上流へ』という理屈に合わないモノでしかないということです。
『コンクリートから人へ』と言えばキレイに聞こえますが、言葉に惑わされてはいけません。
そう考えていくと……現状において『コンクリートから人へ』の施策は、長期的にみればメリットよりデメリットが大きいと考えられます。
一部の個人への給付は増えたものの、リストラされる者も増えた……等のような状況にならないことを祈っています。
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