【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【日記】まーふぃーvsこうめ
2011年10月05日 (水) | 編集 |
玄関に繋がれた"まーふぃー"。
イイ子にしているのも束の間、大好きなおばあちゃんに会いたくて、ウォンウォンと声をあげます。

 mfy@201110genkan03.jpg

"まーふぃー"が声をあげはじめると家の中では……。
"こうめ"が玄関の近くにやってきて「僕も外に出して~」って顔をします。

 ume@201110fuse03.jpg

日が暮れるのが早くなったので、あまり長くは外でおばあちゃんと会えないのでチョット不満そうな顔です。

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【社会】言葉と文化 #01
2011年10月05日 (水) | 編集 |
別項で評価主義や成果主義について【注①】、またRisk Managementについて【注②】書いていますが、これらが上手くいかない根本的な原因は"文化"という言葉に集約されます
そもそも『文化は言葉という枠の中で機能』し、また『言葉は文化という枠の中で機能』します。
このこと自体は「卵が先か?鶏が先か?」という議論に近いものになりますが……。

どういうことかと言えば……。
例えば「すみません」という言葉は、謝罪の意味だけでなく感謝の言葉としても使われます。
英語にしてみるとわかりやすいのですが、
 【謝罪の言葉】
  ・どうもすみません(I'm sorry…….)
  ・すみませんが……(Excuse me,……?)
 【感謝の言葉】
  ・どうもすみません(Thank you very much.)
と色々な場面で使用されます。
これは「すみません」という言葉が、「相手の何かを自分のために使う(または使った)こと」に対して使用される文化的背景を持った言葉だからです。
これが『言葉は文化という枠の中で機能する』ということです。

また、一人称を表す言葉を考えてみると、英語の「I」に対して、日本語には「私」「僕」「俺」「自分」等……多種の言葉が存在します。
これは『場や相手との関係性で言葉を選ぶ』という文化的背景によるものです。
この日本語の特性が、何かを定義するという作業を行う際に英語と比較すると難しい(誤解を生みやすい)……という結果になります。

逆の言い方をすれば、そこまで定義して会話をしなくても意志の疎通ができる……そういう環境だとも言えます。
これが『文化は言葉という枠の中で機能』するということです。


(続く)


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【注①】
 ※参考:仕事(評価/成果主義)
【注②】
 ※参考:仕事(Risk Management)

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