【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【日記】まーふぃー
2011年11月02日 (水) | 編集 |
留守番がストレスになるのか……。
リビングにいるとピッタリと引っ付いてくる"まーふぃー"。

 mfy@201111hittsuku02C.jpg

さすがに重いのですが、"まーふぃー"の顔を見るとダメとは言いにくい……。

 mfy@201111hittsuku02A.jpg

でも"こうめ"が近づいてくると、少し警戒モードになります。

 mfy@201111hittsuku02B.jpg

別に威嚇するわけではなく、ベッタリ引っ付いて"こうめ"が乗っかるスペースを作りません。。。
これからの時期は、"まーふぃー"が乗っかると暖かくて良いのだろうと思います。
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【医療】薬
2011年11月02日 (水) | 編集 |
現代医療の進歩は素晴らしく、これまで手をつけることができなかった病気にも対応できるようになっています。
コレはコレで素晴らしいことだと思います。
ただ……その影で忘れられていることがあるのではないか?そう感じています。

身体のどこかが不調のため医療機関に行くと、それに対応するための薬が処方されます。
この薬の多くは、その症状を緩和するためのものであり、治すためのものではありません
これが最も忘れられていることではないか?と思っています。
イヤ、医療関係者は理解している!という話もあるでしょうが、実際に治療を受ける側に伝えられることはほとんどありません。

さて、薬ですが……。
働きが悪い部位(臓器も含みます)がある時、その部位の働きを助けるために薬が処方されます。
この薬の効果によって、症状は緩和します。
しかし、これは"緩和"であって"改善"ではありません
要するに原因が取り除かれたわけではなく、症状だけを取り除いているということです。

整体の項でも書いたかもしれませんが、身体は楽ができる方向にシフトしていきます。
また身体は、良くも悪くも「慣れる」という能力を持っており、その状態が楽であれば「普通」だと認識してしまいます。【注①】
上記のような薬の使い方は、身体が働かなくても良い状態を作っていると言い換えることができます。
要するに「楽ができる」ということですから、身体は働かなくなってしまいます。
そうなると……筋肉を考えれば理解しやすいのですが、使わなければ働けない(働きが悪い)状態に変化してしまいます。

では薬を使わない方が良いか?と言えば、これは考え方の問題がありますので簡単には結論を出すことはできません。【注②】

ただ言えるのは、本当に必要な状態であれば薬でコントロールする必要はあるだろう……ということです(あくまでも「だろう」です)。
そういう意味では、予防的な意味で薬を摂取することは良いことではないと思います。
日本の高血圧の基準は、世界的にも変な数値になっています。【注③】
メタボ診断の値も同様です。
そうなると、日本の基準をチョット超えたぐらいでの薬の摂取は、世界的には正常な人に投薬(処方)していることになりますから、それは予防的な投薬(処方)と言わざるを得ません。
そういう処方は、長い目で見るとRISKを高くしているようにしか思えません。

 medical(S).jpg
 (この絵については、こちら

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【注①】
 ここで『その状態が楽であれば「普通」だと認識してしまいます』と書きましたが、実際には楽でないと判断するようなことについても時間の経過と共に慣れてしまい、「楽ではない」という判断をしなくなってしまうことが多々あります。
【注②】
 これを考えていくと『長寿は本当に良いことか?』と言う根本的な問題にぶつかります。
 冷たい書き方をしますが、そもそも『長寿』を考える場合、「生きている」と「生かされている」を切り分ける必要があります。
 また「生かされている」を考える場合でも、俗に言う"スパゲッティ症候群"の状態から「薬や機械があるから生きていられる」というところまで、かなり広い範囲を考えなければなりません。
 これが自費で医療を受ける国であれば問題は小さいのですが、保険がある国では「生かされている」状態を維持できるのは、多くの人が保険料や税金という形で誰かの医療費を負担しているという行為によって維持することが可能だからです。
 その分を他に投入できれば色々な意味で国の動きは変わってきます。
 この議論を妨げるのが「命は平等」という言葉です。
 この言葉は生物学的には正しいのですが、社会学的には正しくありません。
 ……というようなことを色々と考えなければなりませんし、感情的な問題も入ってきますから、簡単に結論は出ないわけです。
【注③】
 世界の基準と比較すると、高血圧と診断される値が低い、世界的には「正常範囲」にある人でも「異常」になってしまうことがあります。
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【社会】園田政務官の低濃度汚染水の飲水とマスコミの対応
2011年11月02日 (水) | 編集 |
内閣府の園田康博政務官が、政府と東京電力による統合対策室の記者会見で、東電福島第1原子力発電所の5・6号機から出た低濃度汚染水を処理した水をコップにつぎ、飲み干したとの報道がありました。【注①】
これはフリーランスの記者が、
 「我々、報道機関は福島第1原発の現地取材を拒否されている。本当に『低濃度』か確かめようがない。」
 「実際にコップに入れて飲んでもらいたい。」
と迫ったことが発端となっています。【注②】

これに対してマスコミは、東電福島第1原子力発電所の低濃度汚染水を安全だと報道したでしょうか?
マスコミ第3の権力と言われるのは、「個」として存在しているのではなく、「公」として機能するからです。
だから「個」では入ることができない場で取材できるわけです。
この意識が欠如しているのではないか?と思います。
上記の発言を整理すれば分かると思うのですが、「安全であるというなら飲んでみろ!」という要求なのですから、この要求を満たされればキチンと「安全である」と報道する義務を負っています。
しかし……そのような報道を目にしていません。
当日、現場にいた記者の中には「あれはフリーの記者が言ったことだ!」と責任逃れする人もいるでしょうが、上のような発言があった際に「それで安全性が担保されるわけではないから、意味がない」という発言をしなかったのでは、同罪です。
そして、それは現場にいた記者だけの問題ではなく、後日(飲水までの間)にでも「それで安全性が担保されるわけではないから、意味がない」という発言をしなかったのですから、マスコミ全体が同罪です。
したがって現在、マスコミは「安全である」と報道する義務を負っています。
これを処理しない限り、マスコミに発言権はありません。

まあ……そもそもですが、このような要求を口にする時点で記者としての資質に疑問を感じます。
別項で書いていますが、そもそも安全と安心は別物です。
安全は「科学的に判定されるもの」であり、安心は「どう思う(感じる)のか?」というレベルのものです。
それを混同しているのですから……。
上のように「『低濃度』か……」と言った時点で、この発言は「ある基準に対してドウなのか?」ということで、それは安全性の問題です。
これを「飲む」という行為で判断しようとは……あまりに低次元な発想に呆れてしまいます。

それに対する園田政務官ですが、「飲んでも害はない」ということが分かっていたのだろうと思います。
別項で『異物が限界を超えると病気になる』と書きました【注③】が、これは逆に言えば『異物が限界を超えなければ病気にならない』ということです。
少し物事を知っている人であれば、このことは頭にあります。
この要求が出された時点で、成分検査は終わっていたのでしょうから、実際に飲水する時点では特殊な体質でない限り安全であると考えていたのではないでしょうか?
そして実際に飲水した……。

さてさて……こうなると本来はマスコミが困るのですが、それが分かっていないのかもしれません。
今回の件でマスコミ『何かを主張しようと思えば、それを担保するものを要求にしたがって提示しなければならない』という責任を負ってしまいました。
自分達が根拠とするデータだけではなく、他者から求められれば対応し、提示しなければならない……それが相手に求めた行為なのですから、マスコミ自身は当然に対応するということが前提となります。
その責任を背負ってしまったという自覚があるのかどうか???

今後の報道を期待して見ていきたいと思います。


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