【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【日記】まーふぃーvsこうめ
2012年01月23日 (月) | 編集 |
何の音がしているのか分かりませんが、何かに反応して窓際にダッシュした"まーふぃー"。
窓の外の何かを眺めていますが、人間の目には何も映りません。

 mfy-ume@20120120mado01.jpg

そんな"まーふぃー"を追っていく"こうめ"。
隣に行って、チョコンっとお座りです。

 mfy-ume@20120120mado02.jpg

"まーふぃー"は外の何かが気になるようですが、"こうめ"は外よりも"まーふぃー"が気になるようです。
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【社会】言葉と文化 #03
2012年01月23日 (月) | 編集 |
前回【注①】の続きです。

このような文化的背景を無視したものが、どんどん入ってきています。
これは文明的なものの導入とは異なります。
要するに「もの」と「こと」は違うのですが、言葉をキチンと使うことができなければ、この違いには気付きません。
これが政治的には「相手国に非礼【注②】」になるようなことを平気でしたり、武道全般をスポーツ化の方向に向けたり【注③】……ということに繋がっているように思います。

そもそも英語系の言葉は、英語でいうアルファベットに分解されますし、発音も文法も規則的です(例外はありますが)。
先に『文化は言葉という枠の中で機能』と書きました【注①】が、これは『文化は言葉に規定される』ということでもあります。
この「アルファベットに分解」される言葉を持つ人たちの根底には、「細かく(要素単位に)分解すれば内容が理解できるはず」という思想があります。

ところが日本語は同じようにはいきません。
同じ文章中で、漢字・平仮名・片仮名・アルファベットという多様な文字を自在に使いこなすことができることが、日本語の表記上の特徴です。
このような言葉に縛られた文化は、欧米のモノとは異なります。
これが欧米で成功した制度を導入する時の大きな壁になります。
もともと何かを導入しようとすれば、「場の論理」抜きでは議論できません。【注④】
この「場の論理」に文化的背景は欠かせないものですから、それ抜きの導入が成功するとは考えにくいわけです。

そういう意味では、
 ・日本語についてキチンと考えること
 ・日本文化についてキチンと考えること
は、社会的に必要なことだろうと思います。


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【注①】
 ※参考:【社会】言葉と文化 #02
【注②】
 ※参考URL:内閣改造で4閣僚外遊変更、外交に影響懸念
【注③】
・武道をスポーツ化させること全てを否定するわけではありません(スポーツ化することで、底辺を拡げたり、他種他流との交流を容易にしたり……というメリットが多々あることはわかっています)。
・この辺りは、 こちら(武道)に書いています。
【注④】
 ※参考:【社会】「場」を考える #01
 ※参考:【社会】「場」を考える #02
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