【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【日記】まーふぃーvsこうめ : そこは……
2012年12月16日 (日) | 編集 |
マーフィーの注射に行ってきました。
車を止めて降りるところまでは良かったのですが、降りてみて動物病院の駐車場だと気付いて動きが止まりました。
そして抵抗が始まります。
まあ……抵抗するのは予想どおりだったので、抱っこして連れて行きました。
そして病院の中へ。
診察台に乗っても抵抗が続くので、体重測定の後は抱っこしたまま診察を受け、無事に注射を完了しました。
注射そのものには無反応……。
どうやら注射が嫌なわけではなく、病院の雰囲気が嫌いなようです。
今回は車から降りてくれたので、ゲージに入れたまま台車に乗せて……という大技を使わなくて済みました。
あれをすると周りから笑われるんだよね~、マーフィー。



ということで無事に年中行事を終え、マーフィーが膝を陣取ってユックリしていると……コウメがやってきて……。

 mfy-ume@20121216issyo01.jpg

おいおい、マーフィーの上かよ~。
でもマーフィーも寒くて動きたくないのか、膝掛けの中に入ったままジッとしています。

コウメは落ち着いたポジションが見つからないのか、方向転換。

 mfy-ume@20121216issyo03.jpg

ようやく落ち着けるポジションを見つけたようです。

 mfy-ume@20121216issyo02.jpg

でもね、コウメ。
そこってマーフィーの上なんですけどね。
で……マーフィーの下に脚があるわけよ。
重いんだけどね~。
スポンサーサイト



テーマ:日記
ジャンル:日記
【社会】Twitterにて
2012年12月16日 (日) | 編集 |

▼難しいですね。まず核家族化をどうにかして老若男女が一つ屋根の下で生活することで、老病生死を日常に戻すのがヒトに関わるものとモノ・コトが違うと認識できる近道かもしれません。それが普通に感じるようになるまではストレスが大きいとは思いますが……。


ヒトに対するものモノやコトに対するものを同じと思ってしまっている根には、核家族化ではないか?と思います。
核家族化は老病生死を日常から切り離しています。
言うまでもなく「生死」は病院の領域になっています。
「病」は、祖父母からの知恵の伝承がなくなり、全てが非日常になっています。
本来であれば、寝ていれば改善する子どもを寒い中(車で移動しても必ず外部と触れます)病院に連れて行くことで、結果として回復を遅らせるケースも聞きます。
「老」は、自ら(もしくは結婚相手)の「老」は存在するものの、それ以外は核家族化により家庭の中から切り離されています。
これらを感じる機会が減った結果、ヒトに対するものとモノやコトに対するものを切り分けることが出来ないのでは?と思います。


▼囲碁や将棋でよく聞かれるフレーズに「部分的には最善」というものがあり、そういう一手は分かりやすかったりします。でも全局的には悪手だったりします。政治家の分かりやすい主張は、多分、そういうもので、実は分かりにくいものの方が全体的には最善なのかも……と思ったりします。


最近「部分的には最善」だろうなあ~と思うようなことを口にする人を見かけます。
私のようにあまり影響力がなければ良いのですが、政治家だけでなく組織(企業を含む)の上層部だったりすると悲劇です。
部分的な最善手は、すごく分かりやすい……
その部分だけを考えれば良いのですから……。
でも全体を眺めると良くはならないことが多々あります。
そういう場面で本当に必要なのは、実は分かりにくい一手だったり、地味~な一手だったりします。
それが全体のキーになることは、囲碁や将棋を嗜むとよく分かります。
まあ……一般的には「機を見て森を見ず」と言っても同じなのだろうと思いますし、19世紀頃から言われている「部分の総和は全体にはならない」という言葉にも通じますが……。


テーマ:日記
ジャンル:日記