【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【日記】まーふぃー : 甘えん坊
2013年08月12日 (月) | 編集 |
布団でゴロゴロしていると階段を駆け上ってきたマーフィー。
そしてベッドに飛び乗って……。

 mfy@20130812ama01.jpg

隣で引っ付き虫。

 mfy@20130812ama02.jpg

「マーフィー」っと呼ぶと……。

 mfy@20130812ama03.jpg

「ん???」って振り向いた顔が……何とも……言えないなあ~。
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【武道】Twitterにて
2013年08月12日 (月) | 編集 |
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書きたいことが書ききれない……。
ということで、ここで書ききれなかった部分を書いておこうと思います。

※少し前のツィートです。

▼柔道女子日本代表の指導陣による暴力やパワーハラスメントの問題で、柔道連盟の対応に違和感を感じるのはなぜだろう?


これは柔道連盟の対応が中途半端とか……そういう意味ではありません。
別に暴力やパワーハラスメントを肯定するつもりはありません。
これは大前提です。
でも柔道とは?と考えると、そこで教わる(伝えられる)のは身体の使い方であったり、それに伴う思想であったり……です。
それが単に技術を教える(伝える)になってしまっていることが、このような話になっているのではないか?と思ったりします。
まあ……本来、全柔連は講道館とは別の団体ですから柔道そのものに関する団体ではないとも言えなくはないのですが……。

武道に限らず、身体の使い方は師弟関係によって伝えられるものです。
ただの「教える側」と「教わる側」ではありません。
それでは表面的なものしか伝わりません。
キチンと伝えようと思えば「師弟関係」、それしかないと思います。
そこには教わる側の個性は、存在しません。
個性が存在し始めるのは、伝えられた後の話です。
そうでなければ伝承は途絶えることになります。
途絶えないという声も聞こえそうですですが、個性が入ると伝承に歪みが入り込みます(結果として技術も途絶えます)。
したがって師が「これはこう」と言えば、それに疑問を挟むことはできませんし、それに説明を求めることもできません。
師は各々の段階で必要となるものを見極めて与えれるだけの能力が必要ですし、そのような師が与えてくれたものからイメージを作り、それを身体で表現していく、その過程で色々なことがあると思います。
そうなると疑問については、色々と思うことは仕方ないにしても口に出すことが妥当なのか?という話ですし、説明について言えば、このブログで何度か触れていますが、身体の動きや感覚は言語化できない(しにくい)ものですし、無理に言語化しようとすれば間違って伝わるRISKを負います。
要するに……身体の使い方を伝えるという世界は、頭で考えるという世界や単に技術を伝えるという世界とは、そもそも「場」が異なります。
「場」が異なるのですから、そこに存在する論理も異なるのは普通のことなのですが……。

その意味では、監督とかコーチとか……そういう立場で指導することが妥当な世界なのか?という話になります。
『監督と選手』、『コーチと選手』という関係と『師弟』という関係が同一なのか?

まあ……それでも為された行為が単なる暴力やパワーハラスメントであれば問題であることは間違いありません。
ただ師弟関係をそうでない基準で判断して理不尽と言っているのであれば話が違うような気がします。
その辺りがハッキリしないので、あまり言及できないのですが、一つだけ言えるのは、このような話が出た時に常に「教わる側が正しく、教える側に問題がある」ということをベースに考えるのは、本質的には何も解決できないのだろうということです。
多分、違和感の根には、この辺りがあるのだろうと自己分析しています。


 budo.jpg
 (この写真については、こちらこちらをご覧ください。)




相変わらず拍手コメントの調子が悪いので、こちらにお礼(返事)を書きます。
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