【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【武道日記】柔道(の指導)について #07
2014年07月14日 (月) | 編集 |
#01も書きましたが、ある学校の先生(柔道の指導者)がSNSで書いていた内容があまりにも酷くてスルーできなかったので、大人げなく……長文を書いてしまいました。
長いので、何度かに分割してUPしています。

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前回の続きです。

前回「指導者は、柔道という武道の全体像を教える」ことが必要ということを書きました。
このような話をすると「必要なものは後で加えればよい」というようなことを言う人がいます。
覚えることは一つ一つですから、後から加えても同じではないか?と……。
しかし、全体を前提として作られたモノ足りないとモノを後付けしたモノでは、効率が全く違ってきます。
また「試合で使える技」という前提で作られた個々の能力は、「試合で使えない技」を加えると変な状態になります。
ボクサーとレスラーでは構えが違うように、各々が使う/使われる技を前提として動きは成り立っています。
構えを考えてもそうなのですから、動きは……。

これはシステムを考えると分かりやすいのですが、
 ・全体としてはAという計算過程が必要だが、現時点では使わないので、組み込まない。
 ・Aという計算過程そのものが前提にない。
の両者では、必要な時期にAという計算過程を組み込むのに掛かる手間や時間は全く異なります。
大雑把に言えば……前者の場合は組み込むだけで良いのですが、後者の場合は
 ・どこに組み込むのか?
 ・組み込んだ後の影響範囲の確認
 ・実際に組み込んだ後の影響の確認
を多くの時間を要します。

「試合で使える技」という前提で作られた動きに、そうでない動き(イレギュラーな動き、つまり「試合で使えない技」)への対応を加えるとは、そういうことです。
だから「部分の総和は、全体にはならない」ということを忘れてはいけないわけです。

  (続く)

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