【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【社会】必要なのは…… #04
2015年04月26日 (日) | 編集 |
ボチボチ書いていますので、何について書いていたのか?元が何だったのか?が分からなくなりそうですから、#01の冒頭を再掲しておきます。

また……と言いたくはありませんが、残忍な事件が発生しました。
児童を殺害し、遺体を切断する……。
考えられない行為なのですが、これを近所に住んでいる人がやってしまうのが現代社会なのか……と思ってしまいます。
こういう事件が発生すると道徳の話がよく出てきます。
それはそれで大切なことだと思いますし、必要なことだと思いますが、少し違った視点で書こうと思います。


前回の続きです。

前回の最後に「問題は競争原理だったりする」と書きました。
何も競争そのものを否定するつもりはありません。
問題は「競争して勝つことが全て」のような状態になってしまうことです。

別項で書いていることと共通するのですが、もともと競争にはルールがあります。
あくまでも「勝った」とか「負けた」とかは、そのルールの中でだけの話です。
ところがそれが全てになっていたりします。
分かりやすいのは武道の試合でしょう。
武道の試合は、各武道の体系の中で危険と思われる技を使わないという前提でルールが作られます(使うと反則になる)。
したがって、試合会場で競われているのは武道そのものの優劣ではなく、試合用の技術の優劣です。
言い換えれば、武道の体系の中にはあるものの、試合では反則になる技術がいくら優れていたとしても勝者にはなれないということです。
他の例としては、野球の選手がサッカーのリフティングがいくら上手であっても評価されません。
しかし社会生活の中では、そういう技術が役に立つ機会が多かったりするのですが……。

競技化は技術の特化に繋がり、試合で使うことができる技術そのものは発展します。
しかし逆に試合で使えない技術については、排除に繋がります。
団体競技であれば、下手な者の排除に繋がってしまいます。
試合という枠の中で勝つことに特化してしまうと、どうしても排除の構造が大きく影響してしまいます。
これが「競争して勝つことが全て」のような状態の危険性です。

そもそも残忍な行為ができるのは、そのような行為を受けるのが「自分ではない」という考えがあるからです。
いじめで問題になるのも同じで、いじめに合っているのが自分ではないから見て見ぬ振りをしてしまうという構造です。
これも排除の構造の一部です。

これらを枠の中に置きながら思考しなければ、狭い範囲のことしか学ぶことはできないと思います。

 (続く)
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