【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【社会】「科学的」と「真」ということ #02-01
2010年07月29日 (木) | 編集 |
以前、『「科学的である」と「真である」は別物です』と書きました。【注①】
その続きのようなものです。

今の時代、危ないのは「科学的に……」という言葉であると言ったら、どう思われるでしょうか?
大部分の「科学的に……」と書かれているものは、簡単な言い方をすれば「何かを指標にして数値化している」ということを言い換えていることがほとんどです。
そうなると設定された指標自体の可否が問題となり、次には設定した指標と謳っている内容がキチンと一致するのかどうかが問題となります。……(A)
一方で「どこまで数値化すれば良いのか?」または「どこまで追求すれば良いのか?」も基準をシッカリ持つ必要があります。……(B)

例えば、薬の例がわかりやすいと思いますが、アル薬を胃潰瘍の薬として世に出すために実験用マウスで統計を取り、この実験の結果として体重xグラムに対してyグラム投与すれば、有効性が認められたとします。
この段階では、この薬は「胃潰瘍の薬として、体重xグラムに対してyグラム投与すれば、実験用マウスには効果がある」というものにすぎません。
実験用マウスは、実験結果を測定しやすくするために個体差を小さくしてありますので、同じ薬を野生のマウスに投与して同じ結果が出るかどうかは不明です。
したがって、上記のような言い方になりますし、個体差が少ない状態でも100%効果が出なければ「z%の確率で効果がある」という条件が付きます。
実際に薬として流通させるためには、この後に何段階かの実験を行いますが、そこには常に条件が付きまといます。
科学的と表現する場合、このこと(あくまでの「ある条件の下では……」という前提であること)を忘れてはいけません。
これが上記(A)で注意すべきことです。

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【注①】
 ※参考:【社会】「科学的」と「真」ということ
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