【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【社会】選択的夫婦別姓について #03
2015年11月19日 (木) | 編集 |
前回の続きです。

日本における家族制度の話をすれば、個人を考える時に「ある家族の中の一人(もしくは一員)」という思考が働きます。
戸籍という制度もそうですし、マスコミ報道を考えても何かあれば親や兄妹まで取材対象になりますから、社会がそのようにできているということになります。

そこに別姓という状態が混ざるとどうなるでしょう?
というか……子供にはどちらの姓を付けるのでしょう?
生まれたばかりの子供には、その選択はできませんから、成人になった時に姓を選択するという制度にでもしようとしているのでしょうか?
それは自分の抱えていた姓を変更するということに対するマイナス要素を、子供にトレードオフするだけのような気がします。

また親子で姓が違うという状態がどうなのか?とも思います。
文化的に長い期間を掛けて作られていれば、違っていても「普通」なのでしょうが、そうでないのですから、極端な話をすれば差別やイジメの要素を一つ増やすことにならないか?と思います。
個人を考える時に「ある家族の中の一人(もしくは一員)」ということがベースなのですから、そうでない状態は差別やイジメの要素になりかねません。
いくら差別やイジメが悪いと言ってもなくならない理由は何なのでしょう?
根本的には、差違を考えるようにできているからです。
そもそも動物は違う種の気配を感じたり見たりした時、各々の差違から危険姓(安全性)を判断します。
言い換えれば、差違によって区別するようにできているということです。
それが根底にありますから、差違から何かを感じ、何らかの行動を取るということを全面的に排除することは難しいのではないか?と思います(差別やイジメを肯定しているわけではありません)。
そんな中に差別やイジメの一因になりかねない制度を導入する必要があるのでしょうか?

そんなことを色々と考えると「自分が……」ではなく「誰かから見て……」という視点が忘れられているように思います。

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