【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【政治】国会運営について
2011年03月02日 (水) | 編集 |
2011.2.25 02:28のタイムスタンプで、『弁護士、衆院議員・稲田朋美 国会を真の言論の府にするには』と題したものがUPされていました。【注①】
興味深い内容でしたので、これについて少し書いてみたいと思います。

最初に書いておきますが、私は(申し訳ないのですが……)稲田朋美衆院議員を全く知りません。

▼政治家になってまず驚いたのが本来最高の言論の府であるべき国会に議論がないということだ。
この問題の根底にあるのは、国会議員の能力だろうと思います。
国会議員全ての人にキチンとした討論(議論)ができる能力があるのか?と問われて、「YES」と答えることができる人がいるでしょうか?
議会が「議論をする場」であることを前提としているにも関わらず……です。
そういう意味では、このBLOGで書いたことがあるのかもしれませんが、国会議員(に限らず、議員と呼ばれる立場の人は全てですが)には最低限の能力を求めるべきだろうと思います。
一般教養は必要でしょうし、討論する能力も必要でしょう。
その上で、何か専門的な能力を持っていることが必要です。
そうでなければ、国会に議論は根付きません。

▼だから、「熟議の国会を」(施政方針演説)との菅直人首相の発言自体は正しい。
この辺りのことについては、このBLOGで触れたことがあります。
民主党政権の最大の悪は、「議論をしない」という態度です。
わかりやすい表現をすれば、「これは赤か?青か?」という問いに対して、「私はチョコレートが好きだ」という回答をしている……そういう答弁が目立ちます。
要するに
 ・質問には答えない。
 ・自分が言いたいことだけを主張する。
ということであり、これでは議論は深化しません。
また「質問に質問を返す」という討論の基本を破壊するようなことを普通に行っており、「議論したくない」ということを国民にアピールしているかのようです。
そして、いつの間にか時間切れでは、国会中継を見ているこちらの方がイライラします。
あれでは「とりあえず議論した」というアリバイ作りのための場にしかなっていません。
これでは「熟議の国会」は望むべくもありません。
時間潰しのための答弁(質問に対する答えでないもの)については、時間に算入しない等の措置が必要だと思います。

▼全審議中継と事前通告廃止を
これについては……どうなんでしょう……。
全審議中継は良いことでしょうが、同時進行している委員会がある場合、国民は両方を見ることができなくなります。
では時間をズラして実施するのか?となれば、委員会という形態を採る必要はなくなりますので、効率が悪くなることは考えられないでしょうか?
この辺りをどうするのか?を考える必要があります。
また事前通告廃止については、「手元に資料がない」等の答弁が増え、議論が進まなくなるRISKを負います。
これを回避しようとすれば、答弁者の手元にパソコンを設置し、答弁者が必要となる資料を準備しておく必要があります。
しかし……これを実施しようと思うと、答弁者が探しやすいように整理されていることが必要となりますから、答弁者本人が整理することが前提となります(他人の整理した資料から必要となる情報を検索するのは、大変です)。
そうなると能力が問われます。
私の個人的な意見としては、それぐらいのことができない人に、国全体を見渡して政策を考えることができるとは思えませんので、それでも良いのですが……。
まあ……議会が『台本のある学芸会』だと言われるのは、今に始まったことではありませんので、改革には大きな抵抗が生じると思います。

▼委員会の場で自由討論を
自由討論そのものは良いことだと思います。
自由討論をしようとすれば、能力の差は歴然としますが、無駄な時間が増えることを考えておく必要があります。
それで空転するようなら、問題は大きくなります。
したがって自由討論を導入するのであれば、国会議員の能力を問わなければならないと思います。
まあ……「体育館に人を集めてテレビカメラの前で行う、事業仕分けなる民主党の政治ショー」というフレーズは正しく、そんなには出てこないということを知っている上で何かしなければならない……出てこないという言い訳をするためのものでしかないと思います。

▼菅首相は先日の谷垣禎一総裁との党首討論で、「税と社会保障の一体改革」についてなぜ協議に応じないのかと繰り返し質問していたが、無意味である。
おっしゃるとおりです。
国会を運営する責任は、与党にあります。
また議論する土台は、与党が責任を持って提案するものです。
それをしないでいて「協議に応じろ!」とは、無責任甚だしい発言です。

▼さらに、国会で討論が行われれば、議論が深まる半面で、必然的に審議はその分長時間に及ぶことになるだろう。
それも一案でしょう。
しかし上記のように国民に全てを公開し、国民の監視のもとに実施するということを前提に考えると、議会の長時間化は国民を長時間拘束することにもなります。
「国民に全てを公開している」というアリバイ作りのための公開であれば話は別ですが、本気で国民に全てを公開するのであれば長時間化は飽きられる要因となります。
これは「国民に全てを公開している」つもりで、実際には国民の目の届かない状態にしてしまうことRISKを内包するものです。
また議員に支払われているものが「報酬」ですから、ある程度は定期的に時間を拘束することはできても、常時……というわけにはいかないように思います。
拘束される状態が「常時」であるなら、勤務であるべきですから報酬ではなく給与という考え方にするべきでしょう。
となると……少なくとも社員規則や公務員法にあるように「専業」が前提となります。
この辺りも加味して、どういう状態で仕事するのがベターなのか?を考える必要があるのではないか?と思います。

▼最後に、熟議のためには、議論する当事者が嘘をつかないことが必要である。
当然ですが……。


上に書いたように……私は失礼ながら稲田朋美衆院議員を全く知りません。
この記事を見るまで、名前さえ知らなかった……。
この記事の内容には、賛同できる部分とそうでない部分があります。
それは一方は現役の国会議員、一方はただの事務屋さんなのですから視座が異なるのは当然です。
良いことが書いてあるとは思いますが、それを実施した時に発生するRISKを丁寧に精査する必要があるとも思います。
民主党の議員さんにも……こういう内容の意見を発信してもらいたいと思います。


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【注①】
 ※参考URl:弁護士、衆院議員・稲田朋美 国会を真の言論の府にするには


▼▼▼関連記事(続きを読むをクリックしてください)▼▼▼
【関連記事】

■弁護士、衆院議員・稲田朋美 国会を真の言論の府にするには(2011.2.25 02:28)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110225/plc11022502280000-n1.htm
 政治家になってまず驚いたのが本来最高の言論の府であるべき国会に議論がないということだ。
 与党だった当時の自民党の国会議員にとり、最大の戦場は午前8時の党本部での部会だった。総務会(最高意思決定機関)を通らなければ法案は出せなかったので、前段の部会では対立のある問題については、それこそ真剣そのものの議論がなされ、いかに説得力ある議論、場合によっては破壊力ある議論を展開できるかが勝負だった。人権擁護法案のような悪法は部会の激論の末、潰してきた。
 だが、残念なことに、総務会の了承を経た後の政府提出法案は、形ばかりの質疑の後に多数決で成立し、国会での議論はほとんど形骸化していた。民主党政権になってからは、党内での議論すらあるようにはみえなくなり、永田町のどこにも議論がないという、民主主義の末期症状を呈している。
 だから、「熟議の国会を」(施政方針演説)との菅直人首相の発言自体は正しい。
 だが、熟議にするには、答弁者が質疑に真摯(しんし)に答えなければならない。現在、審議中の予算委員会で痛感するのは、閣僚たちの答弁がほとんど質問に関係なく、質問時間を浪費させていることであり、委員長も熟議に関心がないのか、適切な議事進行を行わないから議論がまるでかみ合わない点だ。答弁者が自分の言葉で答えるのではなく、官僚の手になるメモを読むだけだから、常にピントはずれの答弁になっているのだ。

▼全審議中継と事前通告廃止を
 質問が演説になったり、要領を得なかったりする野党議員にも反省すべき点はある。しかし、熟議を求めた首相自身が、官僚作成の答弁書を繰り返し読み上げ、答えにくい質問は冗長な答えではぐらかし、質問時間を故意に空費させている。由々しき事態である。
 そこで、私なりに、国会の本会議や委員会に熟議を取り戻すにはどうすればよいか考えてみた。
 第一に、委員会質疑を含む国会審議を原則、NHKで生中継することである。「すべてオープンにし」(首相の好きなフレーズ)、国民の目にさらせば、閣僚が質問にちゃんと答えているかどうかがガラス張りになり、それにより国会に緊張感が生まれてこよう。
 前日の夕方までに質問事項を告げる事前通告の慣例も、それなしでは準備できない場合を除き不要である。国会を、熟議の場ではなく台本のある学芸会に貶めかねないからだ。事前通告がないというだけの理由で、本来なすべき答弁を拒否することは許されない。

▼委員会の場で自由討論を
 次に、質疑だけでなく、かつて国会法第78条にあった本会議での「自由討議」を復活させることも一考に値するが、委員会審議で質疑と採決の間に閣僚と議員との自由な討論の場を設けることなら、法改正なしですぐに実行できる。質問者以外の議員が聞くだけでなく討論に参加できるのだ。そうなれば、テレビの討論番組やニュース・バラエティーでの“場外戦”などから国会中心の政治に回帰するのではないか。
 国会に議論がないから、政治家は、いかにテレビ映りがよくなるかとか、短いフレーズを連発してどれだけテレビに取り上げてもらえるかとかに汲々とし、論理に裏打ちされた説得や討論を軽視しがちになる。体育館に人を集めてテレビカメラの前で行う、事業仕分けなる民主党の政治ショー、野党を締め出して与党と政務三役の意味不明の合議体で行う、時間と税金の無駄遣いはやめてほしい。
 自民党の部会でみられるような真剣で生き生きとした論戦を、国会の場で行う必要がある。
 菅首相は先日の谷垣禎一総裁との党首討論で、「税と社会保障の一体改革」についてなぜ協議に応じないのかと繰り返し質問していたが、無意味である。四の五の言わずに政府案をまとめて国会に提出し審議すればよいだけの話だ。与野党協議の正式な舞台は国会であるはずだからだ。国会に質疑だけでなく委員会での自由討論を導入することで議論が深まる。
 さらに、国会で討論が行われれば、議論が深まる半面で、必然的に審議はその分長時間に及ぶことになるだろう。私はこの点については、会期制に特段の合理的な理由はないから、それをやめて、通年制に変えるべきだと思っている。先進国の議会の中で日本の国会の審議時間の短さは突出しているというではないか。会期延長と臨時国会を合わせれば、法改正なしでもほぼ通年にできるだろう。要はやる気の問題だ。通年で真剣に議論し、それを国民にオープンにしてこそ、国会は真剣勝負の場に生まれ変わり、国会が真の熟議の場になってこそ、日本の民主主義は再生して、二大政党体制も意味あるものになるのだ。
 最後に、熟議のためには、議論する当事者が嘘をつかないことが必要である。もちろん、考えが変わることはある。その場合には、なぜ変わったのか、そのことについての説明責任を果たさなければ議論への参加はできない。
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