【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【社会】文化の違い #02(寄付行為)
2011年06月16日 (木) | 編集 |
ボランティアと同様に日本に根付かないのが、寄付という行為です。
日本とアメリカで個人の年間寄付額を比較すると、2000億円対20兆円です(この数字は少し前のものですし、アメリカ側の数値はレートによっても変わります)。
この差には、当然ですが集団の母数によるものもありますが、基本的には文化の違いだろうと思います。

アメリカでは、毎週のようにどこかから寄付のお願いが回ってきます(どこでも……ではありませんが……)。
そうなると「ありふれた光景」になりますから、寄付という行為が特別なモノではなくなります。
「ありふれた光景」になる……消費税でも導入時は「なぜ?」と思われていたのですが、支払い続けている間に『支払い自体が、ありふれた光景』になってしまいました。
特別なモノでなくなると何となく(良い意味で……です)対応してしまう……これが差になって出ているのではないでしょうか?

「どこかから寄付のお願いが回ってくる」という環境ができあがっているのは、やはりキリスト教的文化が背景にあるからでしょう。
キリスト教的文化は一神教ですから、善悪を観ている者は単数であり、正義は一つに集約されます。
要するに評価する権限を持っているのが単数であり、一つの視点から評価される……したがって、その一神に対して直接的/間接的を問わず何をするのか……それが文化の根底にあります。

また「できることをする」というプライドも文化に刻まれているのでしょう。
したがってアメリカにおける寄付行為は、同情等から行われることが多い(ほとんど)の日本の寄付とは、根本的に異なる行為です。
これを理解しておかなければなりません。
日本のように控えめな行動が評価されるわけではないという文化とは異なりますから……。

ボランティアも寄付も……文化的な違いがあります。
文化の違いということは、そこに本来は善悪はありません。
そこに善悪をつけたいと思うのは、御都合主義の論理でしかないと言えます。
それでも、アメリカ型の寄付やボランティア行為を根付かせたいと思うのであれば、考え方を変える必要があります(私は変える必要があるとは思いませんが……)。
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