【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【武道】武道について  #03
2011年06月13日 (月) | 編集 |
色々と考えてみますが、「武道」を表現するための上手い表現を思い付きませんが、また思い付いたことを書きます。

武道に限らず、歴史的に継続しているものは何かを引き継いでいます。
それを技だと言うのは簡単なのですが、実際には技そのものではないように思います。
では引き継がれているものは何か?と言えば、技術の核となるコツだったり、考え方だったり……そういうものだろうと思います。

もともと武道は、思想と技術が両輪として必要となります。
そういう意味では、武道は「思想が技術を纏ったもの」または「技術が思想を纏ったもの」と表現しても良いと思います(どこかで書いたように思いますが……)。
流派と言われるものは、思想と技術が「ある程度の類似性をもって」継承されていれば、同一の流派として存続することになりますが、技術や思想が大きく変化する場合には、流派としては別のものと考える必要があります。

ただし……身体を使うものについては、その使い手によって変化が大きいものです。
これは武道に限ったものではありませんが……。
大柄な人と小柄な人では、同じ技でも身体の使い方が変わります。
したがって技そのものは、継承段階で変化して行きます。
また身体の使い方を言語化することは難しく、力の入れ方や入れる部位、入れるタイミングを完全に伝えることはできません。
そうなると技術の変質は仕方ないと考えなければなりません。

また言語化されるものについても変質のRISKを抱えています。
そもそも言葉は各々の置かれている状態(成長過程の環境やその時点の環境、本人の体型や体質を含みます)によってズレがあります。
したがって言語化ということについても、所謂「思い込み」や「誤解」、「曲解」等……を招かないとは言えず……と言うより言葉そのものはこれらのRISKを前提としていますから、こちらも変質は仕方ないと考えなければなりません。

そうなると継承されるのは、何か?ということになります。
私が思うのは、技術と言語の両輪で表現されるイメージだろうと思います。
技術という肉体を使ったもの、言語という頭脳を使ったもの、この両方により表現されるもの……その両者によって表現された交点にあるものが、継承されている何かだろうと……。
そういう意味では、肉体を使う技術と頭脳を使う言語の両方があること、それが武道の前提になるということになります。
ただし、この両者に交点が必要と考えると、全く別々の方向を向いているようでは、両方があるということにはなりませんが……。

また何かを思い付いたら、武道について書いてみたいと思います。


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