【ひとりごと】or【どこかで誰かと話したこと】で、ほとんどがメモ代わりです。日記をはさみながら気になることや思い付いたことを色々と書こうと思いますが、かなり大雑把に書きますし、比喩表現を使いますので、専門の方からすると「変(正確でない)」と思われることがあるとは思います。また冷たい(厳しい)言葉を使う(らしい)ので、よく「冷たい人」と言われますから、その前提で読んでください。
【医療】現代医学と社会
2011年06月25日 (土) | 編集 |
体調が悪くて病院に行ってみると……現代医学の素晴らしさがわかります。
ただし……私のようにモノとしての変化がない(小さい)人は、かなり苦手なのだろうと思います。

これは現代医学が「戦場医学」の延長上にあるのですから、仕方のないことです。
外野から見ていて……ですが、「標準」と言われるモノに対して、そうでない状態を「標準」と言われる状態に戻す……これが現代医学の考え方でしょう。
この「モノ」は、形があるモノですが、もう少し深く考えると「数値化できるモノ」だとも言えます。
したがって、そのモノを見つけることが必要となりますが、これを科学の進歩が支えています。
この科学の進歩によって、「原因不明」だったモノが『普通では見えないモノ』に起因していることがわかったり、「治療不能」だったモノに対する治療法が確立されたり……と、医学は進歩して行きます。
まあ……このために年々「病名が増えていく」とか「医療費が増大していく」という面も出てきますが……。

ただ……最初に書いたように「モノとしての変化がない(小さい)人」への対応は……。
『「痛い」という症状はあるもののモノとして変化が見られない』とか『出血しているのは事実だが、出血点がわからない』とかになると、「とりあえず様子を見る」しかなくなります。
これを「何もしてくれない」と怒る人がいるようですが、原因が特定できなければ治療法も選択できません
そもそも薬は身体にとっては異物であり、そういう意味では毒だと言えます。
しかし『毒としての影響』と『薬としての影響』を比べた場合、『薬としての影響』が上回り、それを使用するメリットが大きい場合に「薬」として使用されます。
これは薬だけの話ではなく医療全般に言えることであり、また治療だけでなく検査においても同じように言えるものは多々あります。
ですから極端な言い方をすれば、「モノとしての変化がない(小さい)」場合には「原因がわからない」ということになり、その場合には医療行為としては「何もしない」というのは正しい選択だと言えます。
様子を見て悪化すれば、何らかの変化が発生しますから、対応方法がみえてきます。
逆に様子を見ている間に身体が持つ能力で改善すれば、それはそれでOKです。

問題になるのは「様子を見て悪化」した場合ですが、定期的な検査をしていれば手遅れになることはほとんどないと思います(大抵は、何らかの理由で検査に行かないとか……そういう要素が入っているのでは……)。

しかし……この現代医学の不得手に当たった場合は、少し困ったことになります。
社会的には「現代医学での診断可能なもの」だけが病気として認められます。
そうなると「現代医学での診断不能なもの」だった場合には、どんなに症状があっても病気として認めてもらえません
私のように勤め人の場合、どんなに症状があっても病気と認められないわけです。
これが無理を重ねる人の原因の一つだろうと思います。
この辺り、社会的な考え方の転換は必要だろうと思います。

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 (この絵については、こちら

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